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天国で両親が建てた家

<続き>

 ポールは、「たくさんの猫」と言いました。実家の庭に住みついていた猫たちのことが頭に浮かびました。日に何度か、サンルームのガラス戸越しに猫たちがズラリと並ぶのです。居間の椅子に座っていた母は、「早く、早くご飯をやらないと。おなかすかせているよ」とヘルパーさんや私をせかしていました。
 猫たちは、毎日エサを与えてくれるヘルパーさんが近寄っただけで「シャーッ」と威嚇するほど人間を信用していませんでした。でもヘルパーさんたちの中には無類の猫好きの人もいて、梅雨の時期など、餌が雨に濡れないように傘や金属の箱で覆って「猫食堂」を作ってくれました。
 その中で一匹だけ、おそらく引越しで置き去りにされた猫でしょうけど、いやに人に馴れた猫がいて、家の中に入ってくるようになったのです。それが後の「パンダ」です。白地に黒のハート模様のその大きなオス猫は、母のひざに座り込んで、甘えるのです。(奇跡のエピソードを残して天国の母を追った天使猫「パンダ」の話は始めのほうにあります。)
 猫たちは罠で1匹ずつ捕まえては避妊去勢を施し、それ以上増えないようにしましたが、中には捕えられたときのショックが大きすぎたのか、動物病院から連れ帰って庭に放したらそのままどこかに消えてしまった猫もいます。どこか知らないところで交通事故に遭った猫もいるかもしれません。野良猫の寿命は3年から5年、と聞いたことがあります。
 したがって、それ以上は猫の数は増えませんでしたが、ガラス越しに並ぶ猫の数が減るごとに、私は「どんな最期を迎えたのだろうか」と気になったものです。
 ポールの目に「見えた」のはその猫たちだったのでしょうか。
 
 ポールはさらに付け加えました。
「ご両親が天国で建てた家を見たら、あなたはきっとすごく驚きますよ」。
 えっ? じゃあ、実家をそっくりそのまま再現した家ではないということ? 新しいもの好きの父だったから、丸い家とか、宇宙船型の家とか? 地上で父が建てた家も考えてみれば変チクリンな和洋折衷の家でした。おまけに庭にはアヒルに亀、鳩、鶏、ヒキガエル……。両親が天国の家でも、これまで飼っていた動物や鳥と一緒だとしたら。うーむ、だったら確かに驚くような家でしょう。

天国で幸せに暮らす人たち、犬たち、猫たち・・・・・・

 先日、ポールのデモンストレーションに行ってきました。
 300席位ある会場はほぼ満員でした。ステージには花とグランドピアノがあります。ポールはデモンストレーションと呼ばれる「公開のコンタクト」を始める前にピアノを数曲弾くのです。もともと音楽家で、ピアノはプロ級。いい音楽は会場の「場のエネルギー」を高めるために効果があるのだそうです。(花も「場のエネルギー」を高めてくれるそうです。)
 そのあとポールは、「今日のコンタクトがうまくいきますように」と祈りの言葉を言い、全員が目を閉じて沈黙すること3分。ざわざわしていた会場が突然、人が消えてしまったかのように静まり返ります。
 次に、ポールがみんなをリラックスさせるためなのでしょうけど、1つか2つ楽しいジョークを披露します。これが結構面白く、後々も思い出し笑いしています。(実は、彼は普段でもユーモアがあって茶目っ気たっぷりな人なんですよ!)

 みんなが一笑いした後、いよいよ天国からのメッセージです。1時間という限られた時間の中で10人ほどにメッセージが伝えられます。これはポールが選ぶのではなく、霊の人たちが選ぶのです。だいたいにおいて、「緊急を要する参加者」が優先的に選ばれるのだそうです。愛する人を亡くして悲しみに打ちひしがれている人とかでしょうね。また、「この機会にコンタクトを取りたい」と強く願っている故人(霊界の人)がポールに合図を送るのです。メッセージを伝えたい人の頭の上に光が見えるそうです。
 
 私は参加者の表情を見たいので、会場全体を見渡せる後方の壁に近いほうに座ります。とは言ってもあまりジロジロ見ると失礼になるので、見ないふりしながら横目でしっかりと観察するわけですけど。
 前回も、すばらしくて忘れられないコンタクトがありました。
 1人は中年の美しい女性です。ベージュのシックな服といい、物腰といい、ご主人共に、いかにも上流階級といった感じで、私はこの夫婦のかもしだす雰囲気に魅了されて、デモンストレーションが始まる前から見とれていたのですけど。
 その女性に、お父さんからメッセージがあったのです。女性はポールの一言一言にうなずき、しまいには流れる涙を拭おうともせず、ほほえんで本当に幸せそうでした。その間、ご主人はずっと奥さんの手をしっかり握り締めていたのが印象に残っています。
 最後に、「あ、コーラスが聞こえます。お父様は歌を歌うのがお好きだったのでしょうね」とポールが言うと、女性は、「父はコーラスのクラブに入っていました」と答えました。

 もうひとつの印象深いメッセージは、私の斜め向こう座っていた20代半ばの男性に送られたものでした。縮れた黒髪で、浅黒い肌をした方で、北アフリカ出身でしょうか。
「お友達の方と思いますよ。メッセージを送ってきた故人の方は若い男性です。タイル床に倒れた状態を見せてくれてます。病院や家で亡くなったのじゃない、みたいですね。もしかして、ドラッグとかそういうのに関係していたのかも」。ポールはちょっと言いにくそうでした。
 会場の若い男性は驚いたように身を乗り出しました。まさか自分にメッセージが来るとは思わなかった、という反応で、「ち、ち、ちょっと待って!」のような慌てようでしたが、ポールが天国の青年の具体的な特徴を言い始めると(イレズミやピアスのこととか、風貌について)、会場の若い男性は肩を大きく震わせながら、泣き始めたのです。オートバイ仲間の友達だったようです。私も思わずもらい泣き。それに気づいた横のドイツ人は私を見て微笑み、周りの人たちもティッシュを取り出していました。ポールは最後に、「彼は天国でとても幸せなので、安心して」と男性に伝えました。

 誰かの犬も数回、現れていました。ポールは、「ぼくは霊界の動物があまり得意じゃない」と言いますが、どうしてどうして。ロンドンでのデモンストレーションのときはペットの名前まで言い当てていました。

 ところで、実はデモンストレーションが始まる前、ステージの下にポールの姿が見えたので挨拶に行ったのですが、たくさんの人に囲まれていたので、私は彼に目で挨拶をしただけでした。
 翌日、彼からファックスが来ました。
「あなたが私のところに近寄ってきたとき、年配の小柄な女性が、あなたの髪をやさしく撫でているのが見えましたよ。それを伝えたくて、デモンストレーション終了後あなたを探したのだけど見つかりませんでした。あなたのお母さんですね! にこにこしてすごく幸せそうでしたよ。あなたの真っ白な犬と―――、それに猫がいっぱい!」

(続く)

夏の夜に現れた不思議な蛍

5年ほど前のできごとです。
夕食がすんで、私たちはいつもの散歩道を歩いていました。ここドイツの7月の日没は午後9時を過ぎたころで、夜の10時になってやっと夜らしくなります。

さくらんぼうや、りんごの大木が残る古い果樹園を過ぎ、両側をブラックベリーがおおう土手に差し掛かったとき、私は夫に言いました。足もとの草むらを指差しながら。
「去年、ここで蛍を見たのよ」と。

ドイツで蛍を見たのはそれが初めてだったので、見た場所は、はっきりと覚えていました。ドイツにも蛍がいるのを知ったのはそのときだったのです。薄暗い草むらで白い光を放つ蛍を見つけたとき、驚くと同時に、蛍を見るのを楽しみにしていた父のことが思い出されました。

1年前に蛍を見た、その忘れられない箇所を見下ろしたときです。

まさしく同じところに、蛍がいたのです。
草にとまって白い光を放つ蛍が、1匹だけ。

続 あなたが散歩するとき、天国の犬も一緒に歩いています

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ポールはそれから私だけが知っている事実をいくつも語りました。私は「その通りです」と言い続けました。
1時間などアッと言う間でした。最後に、情報を伝えてくれた霊界の人々にお礼のお祈りをして終わります。終わる直前に、「何か聞いておきたいことがありますか?」と言われました。「私は愛犬を苦しませてしまいました」と言うと、胸が詰まってそれ以上は言葉が出て来ませんでした。病気で苦しんでいるとき安楽死をさせなかったという後悔に私は苦しんでいたのです。

「あなたの愛犬は今、病気も苦しみもない天国にいるのですよ。苦しみは過去のものなのですよ。今あなたが苦しみを思い出したとしても何の助けにもなりませんよ」。そう言うポールも、私の苦しい気持ちが伝染したのか、顔を真っ赤にして涙を浮かべていました。彼の両手が私の手を再び包みました。

それがポールとの最初の出会いです。
その日、ポールの書いた本が発売されていることを知って早速購入して読みました。半年後、私は彼の本を邦訳することになって、彼との交流が始まりました。とは言っても、本の内容で理解が難しい部分を明確にするために会うのですから、「私の愛犬は今、どうしていますか? 誰が面倒みているのでしょう?」なんて聞けません。

しかし私の願いは聞き入れられました。
テラスのテーブルで本の内容について話し合っているとき、ポールは突然、身をかがめ、足元の空間を「撫で始めた」のです!

「あなたの愛犬、ここにいますよ」

と、彼は普段の口調で言いました。それは、このケーキ美味しいですね、という口調と変わりなかったので、私は一瞬、「え?」と思いました。

ポールは透明な空間を繰り返し、撫で、「真っ白で、目が真ん丸」と言いました。「感極まる」とはこのことです。私も手を伸ばして私のコロを撫でました。やさしく、ゆっくりと。いつもそうしていたように。
コロの毛は絹のように柔らかでした。

あなたが散歩するとき、天国の犬も一緒に歩いています

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ポール・ミークは子供のころから、この世の人ではない人たちを見ることができたのだそうです。それは彼にとってごく自然なことでした。貧しくはあったけれど、家族をはじめ、教会の人も周囲の人も彼の霊能力を暖かく見守っていたので、彼はもともと大好きだった声楽だけでなく霊能力のほうも同時に追求していく幸せな環境に育ちました。

初めてポールに会ったときの彼の笑顔を忘れることはできません。私は初めて霊能者と呼ばれる人に会うので緊張していましたが、彼は私の緊張を解きほぐすためか、ちょっと雑談をして、それから2階の「リーディングの部屋」に案内してくれました。

こじんまりした部屋には花が活けてあって、木のテーブルにティッシュペーパーが置いてあります。「涙を拭くためだな」と思いました。それから、1時間近いリーディングを録音するためのテープレコーダーがありました。私は持ってきたカセットテープをポールに渡しました。

ポールはまず私の手を両手で包み、目を閉じてお祈りしました。精霊のみなさま、どうかうまく天国からメッセージがもらえるようご協力ください、という内容でした。

ポールはすぐに私の父のことを話し始めました。父の持病のこと、入院してから亡くなるまでの状況、性格などです。あなたのお父さんです、と言われたわけではありませんが、そこまで内容を知らされてそれが私の父であることは100%納得がいきました。もちろん、ポールは私の父が数年前に亡くなっている事実など知るわけはないのです。彼に知らせてあったのはアポイントを取るのに必要だった私の名前だけですから。

リーディング(SITTING)を受けるほうからミディアム(霊と交信する人)に情報を渡すことはタブー中のタブーです。そんなことしたら、どこからどこまでが天国からのメッセージなのかわからなくなってしまいますから。

「あなたのお父さんは、ある分野の専門家でした。今は天国で、そのときの教え子の人たちと一緒にいます」と彼は言いました。
 私の父は化学者でした。戦前、旧満州の大学で化学を教え、教え子たちとは戦後も連絡を取り合い、同窓会を中国で開いたこともあります。父が旧満州で過ごした時期は父が最も輝いていたころだったと思います。
<続く>

その場をほんのちょっと離れた隙に

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テレビで紹介されたポール・ミーク氏の連絡先を探すのはインターネットが普及した現在とは違い、容易ではありませんでした。テレビ局は個人の情報を教えてくれないので、自分で探すほかなかったのですが、ついにある日、夫がポール・ミーク氏の指導を受けたことがあるという女性ミディアムの書いた文章をインターネットで見つけたのです。手紙を送るとすぐに返事が来て、ポール・ミーク氏の住所と電話番号を教えてくれました。住所は私の住む町から500キロ離れたミュンヘン市でした。

早速電話をかけると、秘書らしき男性から、「半年待ちになりますが、それでいいのであれば」と言われたとき、私は嬉しくて、1年でも2年でも待てると思いました。

辛かったのは母にコロの死を報告しなければならないことでした。母には「コロは私の腕の中で眠るように亡くなった」と伝えてありましたが、それは嘘でした。コロの横で一晩明かした私は早朝、着替えをしようと2階に走り、大急ぎで目の前にあった服に着替え、コロのもとに戻ってくると、コロは息絶えていたのです。

最愛の犬の最期を看取ってあげられなかったことについても、私は長い間苦しみました。着替えて戻ってくるまでに、たった2分。いいえ、2分もたっていなかったと思います。あのとき着替えなどしないで、そのままコロを抱いておけばよかった……。なぜそうしなかったのか?

コロの始めの4年間を育てたのは日本の両親でした。父が亡くなり、一人暮らしになった母は高齢で足が悪く、犬を散歩に何度も連れ出すことが不可能になってきたので私はコロをドイツに引き取ったのです。当時80歳の母はコロに会いに、ドイツまでやってきました。母はコロがドイツで幸せに暮らしているのを確かめて帰国しました。コロの死を告げたとき、母は、「コロはあなたの腕の中で亡くなったのだから、よかったよ」と言って泣きました。私は嘘をついていることを心の中で謝りました。

後にロンドンの、あるイギリス人ミディアムの女性から、「この世で愛する人が横にいると、あちら側に行くときが来ていても、魂がこちら側に引っ張られて肉体からなかなか出られないことがあるのですよ。だから、その人がいない隙に逝くのです。逝くのにもタイミングが必要なのです」と言われました。

私は友人や知人が同じように、愛犬や愛猫が「ほんのちょっとその場を離れた間に亡くなった」と言うのを何度も聞いたことがあります。あなたもその1人かもしれません。

魂は死なないという証があれば

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コロがまだ元気だった頃、ある晩、たまたまテレビで興味深い番組があっていたので、あわててビデオに保存しました。それはミュンヘンに住むポール・ミークというイギリス人の霊能者がスタジオにいる大勢の人たちの前に立って、他界した人たちからのメッセージを伝える、というものでした。彼はふたつ職業を持っていました。ひとつは声楽家として。もうひとつはミディアム(霊媒)として。

スタジオで突然、
「あなたにメッセージがあります」
と言われた人は、当人しか知らないはずの事実を指摘され、呆気にとられます。驚愕で目を大きく開いてうなずくのが精一杯、という人もいました。

しかし、故人からのメッセージが愛にあふれていることがわかると、驚きは故人に対するなつかしさに変わり、ポール・ミークの言葉ひとつひとつに涙を流していました。天国(霊界)とのコンタクトとは言っても、おどろおどろしさなど微塵もなく、メッセージはどれも暖かく、無関係の私まで幸せな気持ちにしてくれるものでした。

スタジオの一番後ろに座っていた二十代と思われる女性は、旅先の交通事故で突然亡くなったボーイフレンドからのメッセージを受け取りました。その女性も始めは何が何だかわからないようすで、口をポカンを開けていましたが、やがてハラハラと涙を流し始めました。するとポール・ミークはこれ以上にはないというような笑顔でこう言いました。

「あなたが今流している涙は自分のためなのですよ。あなたのボーイフレンドは、今は天国で幸せに暮らしているからもう悲しまないで、苦しまないでって言っていますよ」。

メッセージは故人からだけではありませんでした。
「それから、ここに犬も来ています。クリーム色の小さな犬です。私の言っている意味がわかりますね? 尻尾をちぎれんばかりに振っていますよ」。

女性は泣きじゃくりながら、うなずきました。

私はそのビデオを繰り返し見ては泣きました。スタジオにいた人たちの反応からも、視聴率を上げるためのサクラを雇ったとは考えにくい、と思いました。コマーシャルのないテレビ局の、きわめてまじめな番組です。普通は「不思議現象」を絶対に信じない夫も、「この人は本物と思える」と言い出したのです。

「ポール・ミークに会いたい」と私は願うようになりました。

この苦しみを乗り越えるには?

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<ペットロスから始まった私の長い旅> その2 

今ならすぐにインターネットでペットロス関係の本を注文するところですが、当時は、本をネットで注文というシステムが始まったばかりで、本は書店に行って探すものでした。

「本が読みたい。それも読んで納得いく本が」
「死について知りたい。死後、動物の魂はどうなるの?」

私は街の書店に走りました。ここはドイツですから、書店の本も当然すべてドイツ語です。文法や知らない単語に気をとられすぎてドイツ語で読書を楽しむというところまで至っていない私は、新聞と料理のレシピ以外、ドイツ語を進んで読むことはあまりなかったのですが、死について知りたい願望が、言語の難解さに勝ったのでした。

心理学、宗教、エソテリック、スピリチュアリズム関係の書物を前に私は長い時間すごしました。この数百冊の中から一冊ぐらいは私の心を少し楽にしてくれる本があるに違いないと思えました。

買い求めた本の中に、オーストラリアの大学で社会学を教えるシェリー・サザランドという教授が書いた翻訳書がありました。タイトルのドイツ語は、「亡き子と癒しの再会」とでも訳すればいいのでしょうか。亡くなった子が親のもとに姿を現す、そして親は大きな慰みを得る、という意味です。著者は霊的な体験をした親たちにインタビューして、本にまとめたのです。
原題は《Beloved Visitors》(最愛の訪問者)とありました。

次から次に起きる不思議なできごと、つまり、親は子の姿(霊)を見たり感じたりするのですが、気味が悪いなどとは全く思えませんでした。それどころか、終始、「よかったね、会いに来てくれたんだね」と、涙を拭き拭き読みました。辞書を片手に、ですが。(すみずみまで丁寧に読んだ初めてのドイツ語の本になりました。)

その中に、交通事故で息子を亡くしたマギーという女性の話がありました。この人は霊感が特に強い体質のようで、息子の死の瞬間に、違う場所にいて息子が亡くなったことを知る由もないのに突然気分が悪くなって立っていられなくなる、という体験をしています。

息子の死後も、心の目で息子を「見る」ことのできるマギーは癒されていくのですが、今度は息子の愛犬だったファングが亡くなると、深い喪失感と不眠に苦しむようになり、なかなか立ち上がることができなくなってしまいます。そして、ファングにもう一度会えたら、と願っていると……。

ファングがマギーのベッドに「現れた」のでした。

愛犬の死を受け止めることができない

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<ペットロスから始まった私の長い旅> その1    

森の中で目を閉じて、秋の冷たい空気を胸一杯に吸い込むと、枯葉の匂いの中に私が愛した1頭の犬の存在を感じます。
マルチーズのコロが亡くなったのは、11年前の、よく晴れた秋の朝でした。

腎臓が9割以上機能していないことがわかってからは、明日はないかもしれないという恐れがいつも心の中にありました。だから、食餌療法、点滴、度重なる血液検査をしながら、残された時間を大切にしよう、毎日の一瞬一瞬をだいじに生きなければと無我夢中でした。後に「できるだけのことはした」と思えるようであれば、悲しみがいくらかは和らぐことができるだろう、寂しさや苦しみから少しは早く立ち直れるだろうと思ったのです。

コロはそれから1年半生きました。

しかし、コロの死後、どんな慰めも役に立ちませんでした。悲しみが私を押し潰してしまいそうだったのです。なぜもっと早く安楽死を選択しなかったのか?という後悔に苦しみました。コロの腎臓も肺も心臓も、もう限界に来ているのがわかっていたのに、私は奇跡を待っていたのでしょうか? 

夜寝るとき、このまま目が覚めないほうが楽だろうに、とさえ思いました。毎朝、目が覚めた瞬間に、コロの死が夢の中のできごとではなく、紛れもない現実であることを受け止めなければなりませんでした。

大声で名前を呼んでみたこともあります。
でも家の中は静まりかえったままでした。

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