記事一覧

可能だが難しい。難しいけど可能だ。

ちょうど帰国していた時、インド人4名のグループの通訳を頼まれたことがあります。インド北部のある町で「聖人」と呼ばれる男性と、彼を敬い、お世話する3名のお金持ちの人たちです。
「聖人」はかなりのお年のはずなのに、実際の年齢の半分ぐらいにしか見えませんでした。その方は慈悲にあふれた目で人々に接し、人生相談を受け(もちろん無料)、機知に富んだ答えで相談者を驚かせました。
食事はオレンジとミルクとインドから持参した薬草茶だけ。過去数十年、それだけで身体を維持しているのだそうです。実際、お付きの人が毎日、オレンジとミルクを買いに行って部屋に届けました。そして、私たちがインド料理のレストランでベジタリアンの食事をする間、その方は同席して瞑想していました。
この一行は九州のある市の郊外にヒンズー教のお寺を建てるというプロジェクトで日本を訪れたのです。市の職員の人たちとの歓迎会の席で、「聖人」は「私たちはみな愛でつながっている」という言葉で始まる挨拶をして、そういう言葉に慣れていない人たちは少し戸惑っていたように思います。しかし、数人の人が「感動した。すばらしかった」と後で私のところに言いに来ました。

みなが食べている間、インド人たちは外を散歩しました。私もそれに加わりました。彼はそこで初めて私に個人的なことを質問したのです。「あなたは食べなくてもいいのか?」と。「今日はなぜか食べなくてもいいような気がします」と答えると、「食べる量は三分の一にして、水を3倍飲めば健康が保たれる」というアドバイスをもらいました。
「何か希望があれば言ってみなさい」と言われ、私は「亡くなった犬に会いたい。一目でいいから、3秒でいいからこの目で見たい」と、つい言ってしまったのです。

「それは可能だけど、難しいよ。難しいけど、可能だ」。

私はあの言葉を忘れることができません。私がこの世にいる間に天国の犬を見る。難しいことだろうけど、いつか、きっと、それが実現すると、なぜか信じられるのです。

カール・セーガン原作の映画「コンタクト」

ヘミシンクや、ミディアムシップなどに興味を持たれた方でまだ「コンタクト」という映画をご覧になってなかったら、是非。

原作はカール・セーガン(1996年没)という、惑星や生命起源の研究で有名な天文学者です。その小説が発表されると、「セーガンは天文学者として有能であるばかりでなく小説家としても天才である」と絶賛され、まもなく映画化されました。主演はジョディ・フォスターです。

小説を読んでから映画を観るとがっかりすることが多いのですが、この映画は小説のテーマにかなり忠実だと思いました。主人公役にはジョディ・フォスター以外考えられないほどぴったりです。

もちろん映画のほう、原作と比べれば、かなり簡略化された部分があるし、日本(北海道近海)が突然現れる部分に度肝を抜かれ、「そういう時に自衛隊員がお辞儀するだろうか(笑)」的疑問も生じましたが、それでも見応え十分です。私なんか何度観たことか……。本のほう、何度読んだことか……。この物語には宇宙と宇宙人とアドベンチャーとスピリチュアリズムが散りばめられています。

また、小説のほうでは「円周率 おなじみのπ、3.14159......」が、おもしろい展開をしますよ。(あ、これ以上は書かないことにしますね!)

SETI(Search for Extraterrestrial Intelligence)
地球外文明探索計画の、本物の広大な基地と設備も画面で楽しむことができます。

あるドイツ人女性の臨死体験

臨死体験についての真面目な番組がドイツのテレビで放映されたことがあります。事故や病気で一時的に体外離脱をして、別の世界に行ったというのです。中でも忘れられないのが、ひとりの女性の「体験」した興味深い内容でした。彼女は話しぶりや態度から非常に知性豊かな人のようで、でたらめを言うようなタイプではなく、自信に溢れているように見えました。

「あちらでは、私が疑問に思っていたこと、全てに答があることを理解することができました。宇宙のしくみ、宇宙の起源、宇宙の謎、あらゆる知識と答がそこにあり、私は幸福感を味わいました。しかし、この世に引き戻された後は、それを表現することが不可能だとわかりました。あの瞬間は全て理解したというのに。」

スイスの精神科医キュブラー・ロスの体験

精神のバッテリーを充電したいときに開く本は、故キュブラー・ロス博士(精神科医)の本で、この1冊は彼女の講演をまとめたものです。

●「死ぬ瞬間」と死後の生 
 (エリザベス・キュブラー・ロス 鈴木 晶訳 中央公論新社)

原題は Death Is of Vital Importance
副題は On Life, Death, and Life After Death

講演をまとめた本で、つまり口語体ですから、英語でもわかりやすいです。難しい専門用語もなく、3冊あるうちで最も読みやすいと思います。
内容は「すごい」の一言です。この文庫本(邦訳のほう)の170頁に書かれている出来事など、「死後も生きている」そのものですよ。お見逃しなく。

ロス博士の本を開くたびに、私の好奇心は拡大する一方です。
彼女の本はこの他に:

●死ぬ瞬間 死とその過程について
●死、それは成長の最終段階 

があります。(いずれも中央文庫)

どれもすばらしいのですが、特に<「死ぬ瞬間」と死後の生>をお読みになるときは(涙もろいかたであれば)ティッシュの箱を用意なさっておいてください。私はそう涙もろいタイプでもないのに、涙が流れて止まりませんでした。悲しくて、ではなく、感動して ……。

お薦めのヘミシンク本

ドイツはもう秋です。日曜日の今日はお弁当を持って近くの森を歩きました。森の中には必ず、ぽっかり空いた草原があります。野草の咲き乱れるその空間はドイツ語でWIESE(ヴィーゼ)と呼ばれます。心の平安を取り戻したいとき、私はいつもWIESEの中で横になる自分を想像することにしています。
周囲は百年以上たった樫(かし)や楡(にれ)の大木が覆い繁り、聞こえる音と言えば、風が枝々を通り過ぎる音と、虫の羽音と、鳶(とんび)の声だけ。う~む、今度はそこに寝そべってヘミシンクしてみようかな?

今日は私がいつも傍に置いている本を紹介します。ヘミシンクに関連した本は数知れないほど読みまくりましたが、これは本当にお薦めです。

今井泰一郎氏がまとめた「ヘミシンク探求大全」(ハート出版)。ヘミシンクを独自で始めたい人には実に心強い1冊で、知りたかったことがほぼすべて書いてありました。著者の、「ヘミシンクのすばらしさを1人でも多くの人に知ってほしい」という熱い気持ちが伝わってくる本です。お値段がちょっと張るけど(3800円)、その価値は十分にあります。このようなすばらしい本を書いてくださった今井氏に感謝。

1日35分だけ日常を離れる・・・・・・

ヘミシンクというものをご存知ですか? 
ヘッドホンを付け、35分間、ヘミシンクのCDを聞くのが私の新しい日課です。ヘミシンクについては、詳しい方が書かれた書物がたくさん出ていますので、興味があればお読みになってみてください。もちろん、インターネットでも情報を集めることができます。アブナイ宗教とは無縁ですからご安心を!

ヘミシンクを聴く目的は一人一人違います。

私の場合は、天国の両親に会いたい。天国のペットたちに会いたい。どんな家に住んでいるのか知りたい。どんな庭を作ったのか見たい。ミディアム(霊媒)のポールから、「ご両親の家を見たら、あなたはきっと驚く」と言われたのですが、どんなふうに驚くのでしょうか。

1年前、ポールから、「猫もたくさんいる」というメッセージをもらったので、餌を毎日もらいに来ていた野良猫たちが今、天国でどう暮らしているのかも見てみたい。猫のことを言われたのは初めてでした。たくさん、と聞いた時、「野良猫たちも、もうこの世にいないのだな」と思いました。母が亡くなり、家を売った後、人間には全く馴れていなかった野良猫たちの行方がずっと気になっていたのです。
火星を探索している車はCuriosity(好奇心)という名前だけど、私自身もあの世を探索するCuriosityです。
<続く>

魂は死なない・・・をテーマにした映画

アメリカの霊能者が著書に、ある映画のことを「この映画は、死後の世界の表現という点で、事実に近いと思う」と書いていました。

それは、

What Dreams May Come

ロビン・ウィリアムズ主演の映画です。邦題は、

「奇蹟の輝き」といいます。(1998年)

この邦題、ちょっとパッとしないなあ。まあ、死後も生き続ける魂のお話なので、下手な題名をつけたら、おどろおどろしく聞こえてオカルト映画と間違われる恐れあるから、こんな無難な題名になってしまったのだろうなあ、などと思っていますが。

私はこの映画を何度観ても(20回以上、観ました!)、そのたびに感動して泣いてしまいます。内容はご覧になってからのお楽しみ、なので書きませんが、ひとつだけ書かせてください。

過去に飼っていた犬が "SURPRISE!!!" っていう感じで飛びついてくるシーンがありますよ。私も死んだらあんなふうに犬たちと再会するんだろうなあって、嬉しくなります。福岡の親友は、「私の飼っていたのは大型犬ばかりだから、どうしよう? 天国の門付近で押し倒されてしまうよ。」と心配しています。

それではどうぞよいお年を。


小野千穂

偶然の一致って、単に偶然?

      4371円と高見山

 これは12年前の話。帰国していたときのできごとです。

 スーパーマーケットのレジで、私は財布の現金が残り少なかったことに気づきました。その前にちょっと大きな買い物をして、有り金をほぼ使い果たしていたのを忘れていたのです。カゴには魚や野菜が入っていました。しまった、と思っても、もう遅い。
「すみません、お金が足りないと思うので何かを減らしますね」と私はレジ係の女性に言い、打ち出された合計額¥4371を見つめながら、ジャラジャラと財布から有り金をすべて受け皿にぶちまけました。親切なレジ係が嫌な表情ひとつ見せず、お金を数えます。
 もうおわかりでしょう……。
 受け皿にはきっかり4371円あったのです。

 当時、私は愛犬を亡くしたばかりでまだ悲しみから立ち直ることができないでいました。しかし、ロンドンのカレッジ・オブ・サイキック・スタディーズで紹介されたミディアムから、「親しい人や動物を亡くした直後は私たちの<アンテナ>が繊細になっていて、偶然の一致が起きやすい状態なのです。天使が見せてくれるのですよ」と言われていたので、「ああ、そうか、また見せてくれたんだね」と暖かい気持ちになりました。そういうことが立て続けに3つ、4つ起きていたので、そんなに驚かなくなっていたようです。

 その後、私は福岡空港から台北へ。
 福岡空港に到着して建物の中に入ろうとしていたら、タクシーが目の前で停車しました。タクシーから降りてきたのはお相撲さんの高見山とお弟子さんと思われる着物姿の若いお相撲さんたちです。「あれ、また!」と私は嬉しくなりました。
 その3、4日前に高見山の夢を見ていたのです。夢から覚めて、「なぜ高見山なの? お相撲自体に全く興味ないし、ファンでも何でもないのになぜお相撲さんを夢で見たのだろう?」と思いながら、当時つけていた夢日記に書いたのでした。

アンの一家が感じた愛犬の存在

私は昔、サウジアラビアのジェッダという町に、5年住んでいました。10人集まれば10の国籍がそろうインターナショナルな都会でした。まあ、都会とはいっても当時(30年前)はロバや山羊やラクダが町の光景の一部、というノンビリした半分田舎だったのですが、今はもうそんな面影もないでしょう。

夜、砂漠に行くと、まさしく「満天の星」です。無数のダイヤモンドを空いっぱいに散りばめたようでした。それだけは永遠に同じでしょうけれど。
 
家からはコバルトブルーの海が見えました。
そして、その家の屋上で台湾人のアンが話してくれたことを私はよく思い出すのです。アンは食事の前に短い祈りの言葉を捧げるのを習慣とするキリスト教徒で、台湾では日曜日に家族で教会に通っていたそうです。聡明で物静かなアンは、良家のお嬢様という雰囲気を漂わせていました。

アンはちょうどそのとき、誰かの小型犬を預かっていました。話題は自然に犬のことに向かい、彼女がこう言ったのです。

「愛犬のラッキーが死んだとき、私たち一家は不思議体験をしたのよ」。

私はそのころ、「死んだらどうなるのか」ということを深く考えたこともなかったので、不思議な体験と聞いたとき、聞きたいような聞きたくないような、ちょっと恐い気持ちになりました。

「ラッキーは老衰で死んだ後も1週間我が家にいたの」。
え? どういうこと? 背中がゾクッしました。(現在の私ならそういう話を聞いても気味悪いとか不思議だとはこれっぽちも思わないのですが。)

「家族みんなが毎日、パタパタ音をはっきり聞いたわ。寝て尻尾をパタパタと床にたたきつけるのはラッキーの癖だったのだけど、死後も私たちに自分の存在を示したかったのかしらね。私たちは、そのつどラッキーの魂に話しかけたわ。ラッキーちゃん、わかった、わかった、ここにいるのね。もう安心して天国に行っていいわよって」。

パタパタ音は、ラッキーが好んで寝ていた食卓の下や、家のいろいろな場所から聞こえてきて、1週間後に突然聞こえなくなったそうです。

アンの一家に愛されて天国に行ったラッキーは、要らなくなった抜け殻を捨て、姿が見えなくなっただけなのだ、ということを家族に知らせたかったのではないでしょうか。

母は誕生日に愛猫を受け取った

      母は誕生日に愛猫を受け取った
          

         野良猫パンダ

 母の住む家に白黒の野良猫が現れるようになったのは十何年も前のことです。猫は毎日来ては、家の中を一通り歩き回った後、母がサンルームに置いた餌を食べ、また外へ出て行くのです。それでサンルームのガラス戸は真冬でも猫一匹分開けてありました。「パンダ」という名前は母がつけたのです。

 あるときからパンダは毛が抜け始め、ボス猫の風格はどこへやらの見る影もない状態になりました。毎日母のために来てもらっていたお手伝いさんに、動物病院から取り寄せた薬を塗ってもらうと、半年ぐらいでようやく元通りになりました。

 皮膚病が治ったかと思うと次は大ケガです。数日ぶりに姿を現したパンダは、オス猫同士の争いに負けたらしく、首もとにパックリ開いた傷があり、ガリガリにやせていました。ずっと犬党だった私は猫についての知識がほとんどなく、メスの発情期が来るとオス猫同士がそうやって争うという厳しい猫社会のことを初めて知りました。

 このままではきっと近いうちに喧嘩に負ける日が来る……。母も同じ思いだったたらしく、パンダを去勢して家の中だけで飼うことに決めたのです。それに、パンダが家に来始めてからの母の生活はパンダ中心になっていました。パンダが2日姿を現さないと母は心配のあまり食欲さえ失くしてしまうのです。パンダを家で飼うことは母のためにも猫のためにもいいのではないかと思えました。


       たちまちセレブ猫に

 パンダが家の猫になると、ドイツからの毎朝の電話は、
私「もしもし、ネズミに引かれていないでしょうね?」
母「パンダがいるからだいじょうぶ!」で始まるようになりました。
 母の介護のヘルパーさんたちも「パンダちゃん」、「パンちゃん」と呼びかけ、抱きしめ、撫で回し、ほおずりをするものだから、毛はピカピカに光り、美猫になって、みんなのアイドル猫です。
 
 居間には、母がマーカーで「パンダのおもちゃ箱」と書いた段ボール箱があって、来客はその中から好みの猫じゃらしを選んで、しばらく猫と遊びます。本物のパンダにそっくりのかわいい猫がいる、という噂を聞いて、遠くからわざわざパンダを見に来る人もいました。

 一番の驚きは、パンダが気配りをするということでした。ソファで長くなっていたパンダが突然、何かを思い立ったように起き上がり、母の膝に飛び上がるのです。そして、母の細い両膝からずり落ちそうになりながらも、ズボンにしがみついて母に自分を長い時間、撫でさせるのです。骨折で入院治療したせいで筋肉が落ちてしまい、竹のように細くなっていた膝は、パンダにとって決して座り心地はよくなかったはずですが、母が自分を撫でたがっているのがわかったのでしょう。


           母、天国へ逝く

 パンダにはどんなことがあっても、母よりも長生きしてもらわなければならない。ヘルパーさんも私もそう願っていました。

 そして、パンダは最後まで母を見守っていてくれました。母は95歳まであと2ヶ月という冬の朝、天国に逝きました。

 猫を13匹飼っている友人がパンダを引き取ると申し出てくれたのですが、血液検査の結果、パンダは猫エイズのウィルス・キャリアだとわかったので、諦めざるを得ませんでした。友人は悔しがって泣きましたが、私はこれも「猫神さま」のお考えなのでは?という気がして、友人を慰めました。パンダだって母に負けないほどの高齢のはずなのです。人間も猫もできれば住み慣れた家で暮らすのが一番なのではないか、と。

 それからは、その友人を始め、猫好きの従姉、母の介護に来てくれていたヘルパーさんが定期的にパンダに会いに行ってくれるようになりました。


           奇跡の49日

 母が亡くなってちょうど49日目に、「パンダが餌を食べなくな
った」とドイツの私に連絡がありました。そのときが来た、と思いました。
 49日目からきっかり1週間後が母の誕生日だったのです。だから私はパンダの世話をしてくれていた人たちに、「母は自分の誕生日にパンダを連れに来るつもりだと思う」と伝えました。なぜか、その言葉が自然に口から出たのです。しかも、みんなすぐにそのことを理解して、「パンダは母の誕生日に逝く」という確信を持ったようです。

 餌を食べなくなったパンダのために友人とヘルパーさんたちは前よりいっそう頻繁に訪れてくれました。パンダは4、5日たつと寝床から起き上がれなくなっていました。それでも、「パンダ!」と呼びかけると、「ニャア」と返事をしていました。パンダはいつもそうやって返事をしてくれるのです。

 母の誕生日の日付に変わるまであと数時間という晩が来ました。友人は遅くまでパンダに付き添ってくれていましたが、零時が過ぎ、ついに母の誕生日の当日になったとき、友人は自宅に帰ることにしました。「私がいるとお母さまがパンダを受け取りに来にくくなるような気がします。家に帰ります」という携帯電話からのメールが来ました。

 朝一番に友人が家に行くと、パンダは冷たくなっていました。
 パンダは母のお骨を家で49日間守り続けるという、この世での最後の役割を終えて、大好きな母のもとに行ったのです。

 パンダがお母さまのもとに逝きました、というメールを読んだ瞬間に心の奥から湧き出てきた感動を私は一生忘れないでしょう。「パンダは偉い。すごい猫だ」と、私は泣きながらメールに感謝の返事を書きました。

 今、天国でパンダはいつでも好きなときに母の膝の上でうたた寝をすることができます。若返った母の膝の上は絹の布団のように柔らかで寝心地は満点。母の着物は大好きだったラベンダー色でしょうか。母の手がパンダをいつまでもやさしく撫で続けていることでしょう。

 母は自分の誕生日に、何よりもすばらしい贈り物を受け取ったのです。

ページ移動

Links:超スーパーコピー時計,タグホイヤー スーパーコピー,ウブロコピー