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野犬の避妊手術を拒否?

大西洋の西アフリカ沖にあるカナリー諸島の島、ラ・パルマ島から戻ってきたところです。
そこは本土からは遠く離れていますがスペインです。常春で冬でも泳げる、お魚が美味しい、パエリアも美味しい、ハイキング中に山道で会う人たちは必ず、「オラー!」と挨拶して通りすぎて行きます。しかし、村から村へ歩くうちに私の心はだんだんと沈んでいきます。

庭のすみにつながれたままの犬たち。飲水もない。散歩にも連れて行ってもらってない。その証拠に、犬小屋の周囲はフンだらけです。

中型の細いグレイハウンドふうの犬が、狭い小屋に何頭も詰め込まれています。彼らはハンティングのときに使われる「道具」です。不要になれば山に捨てられる犬もいます。田舎でゴミをあさる犬は、多くが骨と皮だけにやせ細り、皮膚病にかかっている犬もいます。近寄ると逃げてしまいます。もう人間を信じることができなくなっているのでしょう。

動物愛護先進国であるドイツからボランティアの獣医さんたちが薬も器材もすべて持参して野犬になった犬たちの避妊手術をしようということになりました。

しかし、なんと地元の獣医たちが反対して、なかなか実行に移せないでいるそうです。プライドがじゃまする? 余計な御世話という気持ちがはたらく? 

もちろん、ラ・パルマ島の人たちの中にも犬を愛する人たちが大勢います。ドイツ人の活動家が野犬になった捨て犬を保護してドイツに連れていき、新しいファミリーを見つけるフィルムもテレビで見ました。そういう活動は地元のスペイン人と一緒に行います。

地元の人たちと共同事業でないと、一方的なボランティアは拒否されてしまうのかもしれません。

大目にみよう!というトレランス精神

曽野綾子さんの同じ本「人づきあい」の第31頁を引用させてください。(イースト・プレス社)

「すべての人がかならずしも常識的に生きなければならない、ということもない。人間の生き方の最低を示した法律を犯してさえいなければ、ますいいとしなければならない。こっそり犬猫を飼うぐらいのことは、別に法律違反だと言って騒ぎ立てるほどのことではない。その犬が通路にウンコを落としたり、臭かったり、鳴き声が煩わしかったりしたら注意すればいいが、とくに他人に迷惑を及ぼさない限りほっておくくらいのいい加減さが自分にない場合、むしろこちらの性格や生き方や健康に問題があると見たほうがいい、というのが、私の実感である」

トレランスの高い国ほど住みやすい、と私は思います。人間の生きる権利を犯すような重大な事情でなければ大目に見る、許容できる、というのがトレランス。それは国がお金持ちであるかどうか、先進国であるかどうかなどとは無関係であるような気がします。

ドイツなど、動物に関してはトレランス✕2ぐらいかもしれません。道にはフンが落ちている、今日もうちの玄関前にありました!しかも大型犬。責める相手は犬ではなく飼い主のほう。誰か分からないから私が掃除するしかないです。

こないだ頼まれて預かった犬は毛が臭くて臭くてやりきれなかった。飼い主に指摘したら逆ギレされた。その人は愛犬を野原で放して散歩させますが、そのときに、犬は野ネズミの死骸の上で転げまわっているはずです。まさしくその匂いなんです! 彼女の犬を預かってあげる人のトレランス度はかなり高いはずです。私はダメでしたが。

近所の大型インコの鳴き声、すごい。天気のいい日は窓を開けるからギャーッ、ギャーッって聞こえて来ます。「ここはアマゾンのジャングル?」と思えるような鳴き声です。階下のおじさんが時々窓から、「うるさああい」って怒鳴ります。私たち夫婦は、「あはは、怒ってるよ」と、いたって冷静。

トレランスについてはフランスもすごいです。ニースの町でスーパーマーケットのカートに堂々とワンコを乗せてお買い物するマダムを、ニースだけでなくフランスでは何回も見たことありますからね。いや、それを勧めているわけではないです。ただ、見て見ぬふりをする、大目に見るのがフランスだなあって心底思っただけです。私の場合、スーパーで買物するとき、犬は車の中です。暖かい日は窓を半開きにして。そうしないと窓を壊されます。犬を救うために他人が窓を壊してもOKな国、なんです、ドイツは。

曽野綾子さんのエッセイから

作家であられる曽野綾子さんのエッセイの抜粋を集めた「人づきあい」という本を読んでいたら、「これ、これ、これなんです!」というところを見つけましたので紹介したいと思います。

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まず火を消すのだ。まず人を助けるのだ。それから後に起きた問題は後から解決する。
これが秀才にはできないのだ。すべて起こり得るあらゆる問題を考えているから、何も行動を起こせない。秀才とは、私がいつも皮肉をこめて言うように「できない理由を見つけることがうまい人」なのである。

「人づきあい」101頁  曽野綾子著 イースト・プレス社

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これぞまさしく今のドイツではないですか! 

難民が短期間に百万人以上やってきた。現在でも毎日2000人以上がドイツに来る。他の国々は知らん顔。これからこんなに大勢の難民をどうしたらいいのか? ドイツ人たちはかなり当惑しています。それでもドイツ人たちはボランティアで彼らの世話をする。ちなみに、ドイツでも政治家たちは「秀才」だからなんでしょうか、難民たちが速やかにドイツで仕事ができるよう工面することができないでいます。

なぜ、私がここでこの文章を例に挙げたかというと、ドイツ人は飼い主を失ったペットに対して同じ思想で対処していると思えるからなのです。この頁にメモをはさんだのは、難民の問題の起きるずっと前です。今日読み返していたら、「ドイツで殺処分がない理由」と書いたメモが、この頁からはらりと落ちました!

つまり、まず犬を助ける。その後に起きた問題は後で解決する。

起き得る問題をすべて、あらかじめ解決した後に殺処分施設のガス室をなくす、なんてことを日本の政治家の人たちが考えているとしたら、あと50年、いや、100年たっても日本からガス室での窒息死による殺処分は消えないのではないでしょうか。

ペットショップの掲示板から

私の住む人口25万人ほどの小さな都市にも大型ペットショップは何軒もあります。
でも安心してください。子犬や子猫を売るペットショップではありません。フード、首輪やハーネス、おもちゃ、クッションや足の弱った犬を運ぶためのリュックサックなどを売っているのです。こんなにたくさん店があって、よく潰れないなあと感心しています。
高級店もあって、手作りの細かい細工を施した首輪や、見るからに上等の生地を使ったシックな高級クッションや、使うのがもったいないような食器が上品に並べられています。

郊外の大型ペットショップの掲示板には、「新しいファミリーを探しています」の写真付き広告がぎっしり貼ってあります。動物保護団体が保護している犬たち。東ヨーロッパや、スペインや、トルコなどで保護してドイツに連れてきた犬もいます。ドイツの犬は実に国際的です。

先週は近くの食料品スーパーマーケットでウクライナから連れて来られた、すごくやさしい目をしたシェパード系ミックス犬の広告を見ました。早く新しい飼い主が見つかることを祈っています。ドイツに連れて来られた犬はほぼ100%の確率で新しい飼い主を見つかるのだそうです。日本もそうならないかなあ、と願っているのですが。

日本からガス室をなくそうよ!

ロシアの文豪トルストイはこう書いています。

「人間と同じように動物も、喜びと苦痛、幸福と不幸を感じる」。

口のきけない動物たちから苦痛や不幸を取り除いてやれるのは私たち人間しかいません。

あと数日、数時間でガス室に送られる犬たちの思いを想像してみましょう。神様のように敬愛して信じていた人間は自分たちを見捨てたのです。しかし彼らはそれでも、今に迎えに来てくれる、と信じている犬もいて、入って来る人間を「もしかして」と期待を込めて見つめます。

私の願いは、日本からあの恐ろしいガス室を鉄くずにしてしまう日が来ることです。

動物を愛するみなさま、どうか、家庭で、学校で、職場で、このことを話題にしてください。すべてはまず、考えることから始まります。スマホを持っているかた、フェイスブックを使っていらっしゃるかた、ガス室を鉄くずにしよう運動を始めましょう! ブログを書いていらっしゃるかたは、どうぞこのことを文章で世に広めてください。

どうぞ鶏肉を買う前に考えてみてくださいね

動物愛護という言葉を使うたびに心のかたすみで、「ちょっと違うんだなあ」というつぶやきが聞こえます。動物保護、というと保護する意味が強調される感じがするし、やっぱり「違うんだなあ」。

やっぱり「動物の福祉」かな? 私が家畜のために使いたい言葉は。

人間に飼われている動物たちがその動物らしく生きることのできる環境を整えられるのは、私たち人間です。
地上で、動物の地獄に生まれるのも、動物の楽園に生まれるのも人間次第です。(地上での役割を終えた動物たちは、彼らの天国へ行くでしょう。人間を愛し、人間から愛された動物たちは愛する人の行く天国でいつか再会するのでしょう。)

今日は、動物の福祉、ということについて、ちょっとだけ。

ドイツのオーガニック食品専門のスーパーで売っている何種類かの鶏肉はどれも放し飼いで育った鶏です。その中のひとつには、箱に大きく、「鶏を外に出そう!」と書いてあります。
一生身動きさえ充分にできない狭いオリの中で、一度も土を掘り起こすこともなく、仲間と接触することもなく、ただただ配合飼料をつっつくだけの地獄。放し飼いではあっても屋内で、満員電車並に詰め込まれ、不潔さから病気で死んだ仲間があちこちに横たわる地獄。

同じ鶏として生まれても、外で土を掘ったり、仲間にちょっかい出してみたり、追いかけたり追いかけられたり、砂浴びしたり、柔らかい草の上で日を浴びたりする鶏の天国。

鶏に私たちが与えることのできる「福祉」を、考えてみませんか。消費者の考えが変わることが動物福祉の第一歩につながります。

ペットショップの子犬や子猫

ある知人から、「ぼくの弟はペットショップのオーナーなんだよ」と言われ、ちょっと、いや、かなり衝撃を受けました。弟さんにも一度会ったことがありますが、物腰の柔らかな、とってもやさしそうな三十代です。大成功しているビジネスマンと聞いています。

「ペットを飼ったことないのにね」と知人は弟さんの「奇妙な商売」を笑っていました。

「飼ったことがないからできるんだ」と心の中でつぶやいた私。言葉で言おうとしたけど、ちょうど他の人たちも一緒にディナーを楽しんでいる席だったので言いませんでした。

「どんなところで繁殖した犬猫ですか?」
「繁殖の現場は把握しているのですか?」
「いつも完売、なんでしょうか?」 
「売れ残りの子犬子猫はどうしているのですか?」
今度、弟さんに直接会って聞いてみようと思っています。

牛や豚や鶏たちのことも考えてみよう

アメリカのベジタリアン団体の調査では、週に一度だけ肉なしデーを実行するだけで何億頭もの家畜を殺さずにすむのだそうです。
「木曜日を肉なしデーにしよう」というキャンペーンを始めたアメリカ人青年のことをドイツの新聞で読んだことがあります。私も以来、週に二度はベジタリアン、時々は玉子も乳製品もなしのヴィーガン料理を作っています。

アメリカでの統計では、2007年と比べると2014年には、家畜の屠殺数が4億頭も減少しました。

西ヨーロッパでも肉の消費量が年々減少しています。
同時に、家畜動物の飼育についてドイツではしょっちゅう話題にのぼります。「私たちは家畜を人道的に扱っているか?」という問題です。今週号のドイツの雑誌「Die Zeit(ツァイト紙)」では、家畜動物の福祉が第一面記事です。

私たちが美味しいといって食べる焼肉やとんかつやフライドチキンの肉が、日光の当たらない狭いオリの中に閉じ込められ、苦痛だけの一生だった動物たちの肉だとしたら?

週に一日肉なしデーをもうける。家畜の福祉を考慮して、放牧牛、放牧豚、放し飼いの鶏を(高くても)買うようにする。そのような行動を通して、私たちも家畜動物たちの福祉向上に参加することができると思います。

繁殖に使えなくなった犬はどうなる?

ジャックラッセルテリアとシーズーのミックス犬「マイカ」は、ドイツの悪徳繁殖屋のもとで5年の間、小犬を産ませられ続け、ようやく自由の身になり、今、最愛のママと朝から晩まで一緒です。

流行の犬を増やしては売る、お金儲け目的の繁殖屋(繁殖家ではありません、念のため)はドイツにもいるわけですが、お金儲けに使えなくなった犬は彼らにとって「不要犬」です。

愛護団体はそんな犬たちを無条件で引き取り、避妊手術をした上で、新しい家族を探します。愛護団体は繁殖屋の人たちを責めたり、実情を暴露したりしません。そんなことすれば、哀れな犬たちが今度はどんな目にあうかわかりません。
動物虐待が全くない社会が理想ですが、私たちは現実をもしっかり見据えた上で動物たちを救助しないとならないのです。繁殖屋が要らなくなった犬たちを自分たちで処分するようなことだけは避けさせねばならない。それには無条件で、そして無料で引き取る愛護団体の存在が必要です。

「マイカ」は始め誰も信頼せず、始終オドオドしていて、絶えず逃げ出すスキをうかがっているような子で、おもちゃで遊ぶこともなく、ボールの遊び方も知らず、この先一体どうなることやらと心配でしたが、今ではヘルパーさんであるママと一緒に毎日、介護施設に通って老人たちのアイドルになっています。

お薦めしたい本

”「あの世」が存在する7つの理由”

ジャン・ジャック・シャルボニエ著 石田みゆ訳
サンマーク出版

フランスの救命救急の現場で働く蘇生医が、25年のあいだ経験してきたことを書いた本です。
魂は死なない、ということを著者は様々な例を挙げて、非常にわかりやすく説明しています。


お薦めします。

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