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犬がプールで泳ぐ日

ドイツ人の友人から、「犬もプールに入れる日があるから行こう」と誘われ、私もワンコを連れて行って来ました。

実を言うと、「犬連れの人が数人、プールサイドで日光浴するんだろうな」程度に思っていました。ところが、びっくり。

入場料を払って領収証(?)のビニール袋(ウンチ袋)を受け取り、中に入ると、そこには犬の天国が展開していたんです。ほぼ絶句状態になった私。

こんなに大勢の犬を見たのは初めてでした。

スーイスーイと泳いでいる犬たち。まるでカワウソ! 
黒のラブラドルレトリバーはまさしくアザラシ。

プールサイドで愛犬を泳ぐようにうながしている人たち(犬より人のほうが積極的なケース)。

プールでいっしょに泳ぐ人と愛犬。

我が子(ワン子)を撮影しようと必死な人たち(ほぼ全員)。

飼い主がコーヒータイムしている間、広い緑地帯で走り回る犬たち。ジャーマンシェパードも、スタフォードシャーテリアも、ヨークシャーテリアも、プードルも、走る、走る。

あるとあらゆる犬種が集まっていました。もちろん雑種も。

プールは犬たちが入っても、水を飲んでもいいようにカルキを入れてないそうです。市の経営するこのプールに犬も泳げるのはたった一日だけなので、遠くからも犬を連れてやって来ます。

犬たちがキラキラと目を輝かせて愛する飼い主を見上げます。

私は思ったのでした。犬たちの天国って、きっとこの光景に似ているんだろうな、と。

獲っては捨て、獲っては捨て

新聞に掲載された、人間の大人ほどもある巨大な魚の写真。それはライン河で20代の釣り人が釣ったナマズでした。釣り上げられたナマズの横で得意顔の青年が寝そべっています。ナマズの年齢は55歳。記念撮影の後は捨てるしかない、ライン河のナマズ。

その写真を見て不愉快になったのは私だけではなかったようです。翌日の読者投稿欄には何人もの人が、「食べるわけでもないのに、55年も生きてきたナマズを個人の楽しみのために殺してどうしようというのだ? なぜ放してやらなかった?」、「捨てるナマズを死なせる必要などなかったのに!」と意見していました。

私自身も九州の天草(有明海)で釣り人らが堤防に置き去りにしていったたくさんの小さなフグを見て悲しい思いをしました。食べられないので捨てる。生命を奪い、そして捨てる。

また、ドイツは昔、タラ漁がさかんでした。今ではタラの数が減り、もう大衆魚ではなくなりつつあります。売り物になる魚以外は海に捨てていたのです。死んだ小さめのタラや売り物にならない雑魚を何トンも何トンも漁船から捨てる。

「漁獲量が減った云々」を聞くたびに、つまるところ人間は「ツケを払っているのだ」という気がしてなりません。

おじいちゃんだけに見えた猫

先週は、アムステルダムの友人Yさんがドイツに遊びに来ていました。これは彼女が話してくれた、オランダのおじいちゃんのことです。


「おじいちゃんは天国に逝く前の3週間、寝たきりでした。最後は他の人には見えないものが見えると言ってました。

一つに、おじいちゃんが小さいころに飼っていた黒猫のムッシェです。
おじいちゃんの焦点が突然、私たちの後ろにいき、<あっ、ムッシェがそこにいる!> と言ったんです。」

お薦めしたい本

”「あの世」が存在する7つの理由”

ジャン・ジャック・シャルボニエ著 石田みゆ訳
サンマーク出版

フランスの救命救急の現場で働く蘇生医が、25年のあいだ経験してきたことを書いた本です。
魂は死なない、ということを著者は様々な例を挙げて、非常にわかりやすく説明しています。


お薦めします。

日本でミディアムに会いました

帰国していた3週間前、日本のミディアムに会いました。これまでイギリス人ノポール・ミーク氏と、ロンドンのSAGB(イギリス・スピリチュアル協会)のミディアムからリーディングをしてもらったことはありますが、日本人のミディアムに会うのは初めてで、ドキドキしました。

日本では一般に、スピリチュアル・カウンセラーと呼び、イギリスの本来のミディアムとは方法が違う、というような説明を最初に受けて、あれ?と思いましたが、だんだんその違いがわかってきました。

イギリス人のリーディングでは、依頼人は、イエスかノーを答えるだけですが、日本では、依頼者が質問しないと話が進まないという気がしました。どちらがいいとか悪いとかいうことではなく、日本ではその方法が普通だということだそうです。日本ではみなさん、人生相談のために霊感の強いかたのもとを訪れて話を聞いてもらう、ということなんでしょうか。

でも大きな収穫はありました!

霊界から母方に関係のあるかたがコンタクトしてきたようですが、私は母方の親類は全く知らないので、「心当たり全くないです」と言ってしまいました。後で考えると、せっかく霊界から出て来てくださったのだから話ぐらいは聞いてあげるべきだったかなと少し後悔しましたけど。そして、「犬とコンタクト取りたいんです!」とはっきり伝えました。

小さめの犬が見える、ということでしたので、「色は?」、「毛の質は?」としつこく食い下がる私(笑)。目を閉じてひたすら全神経をアチラのほうに集中する彼女。

白くて毛がフワフワしてる、と言われて、心の中で喝采を叫びました。天国のコロちゃんだな!

嬉しかったけど、なぜかドッと疲れた午後でした。私、なんであんなに緊張してしまったのかなあ。

天国の両親の家にいる猫たち

天国に行った愛犬、愛猫に会いたい、と願っている人は少なくありません。どうしたら会えるのでしょうか?

霊視してもらう、という方法があります。それには有能なミディアムに会う必要があります。
有能なミディアムは、あなたに何の質問もしません。そして故人からのメッセージを、あなたしか知らない事実を述べて、伝えます。思いがけない故人からのメッセージもあり、又、後で事実かどうか調べないとわからないような内容も指摘されることがあります。

犬や猫が出てくるときもあります。霊界とのコンタクトは、こちらから誰々に会いたい、とか、特定のペットを「出してください」と頼むようなものではありません。ミディアムに会う前に、ミディアムシップとはどういうものか本で読んで、知識を付けておくといいですね。

私は、ドイツ在住のイギリス人ミディアムのポール・ミーク氏から、2年ほど前に、「あなたの天国の両親のところに猫がたくさん見える」と言われました。白い犬がいる、とは毎回言われていましたが、猫がいると言われたのは初めてでした。

ミーク氏に見えた猫たちは、母が晩年飼っていた猫の「パンダ」、そしてご飯をもらいに庭に来ていた数匹の野良猫たち(全員去勢避妊しました)なんだと思います。

もっと瞑想を

心からお薦めの本をご紹介します。

カトリックシスターであられる鈴木秀子さんの著書、その中から2冊・・・・・

「在すがごとく死者は語る」

     ――人は、ある日その声を聞く

「神は人を何処へ導くのか――沈黙の行、神秘体験、そして超自然 の力」


「在(いま)すがごとく死者は語る」の本の帯に、「あなたを癒し、救うために、魂は姿を現わす」という言葉がありました。
愛する人が亡くなった、愛するペットが亡くなった、でも愛は生き続けています。愛によって私たちはあちら側の人たちや動物たちとつながっているのだと思います。
でも私は欲張りだから、つながっていることを確かめたい。霊媒のポール・ミーク氏はつながっている証拠を見せてくれるけれど、私はつながっていることを自ら確かめたい。

瞑想をしないと。
ヘミシンクもいいのではないか、と思います。

25刷になりました!「ペットたちは死後も生きている」

拙訳「ペットたちは死後も生きている」(ハロルド・シャープ著 日本教文社)は先日、25刷を迎えました。みなさまに読んでいただいて、著者のシャープさん、天国でニッコリなさっていると思います。

これまでにいろいろな方から「この本にめぐり合えてよかった」というお手紙を受け取りました。

この本の翻訳はわたくしにとって喜びでした。1行1行にシャープさんの、動物たちへの愛が凝縮されているように感じました。

この本を出版してくださった日本教文社と編集者のみなさまに感謝しています。

シャープさん、読んでくださったみなさま、すばらしい編集者である田中様、日本教文社のみなさま、本当にありがとうございます。

これからもこの本がペットを亡くして悲しんでいる人たちを慰め続ける存在でありますことを願っています。

小野千穂

シャープさんの本(ペットたちは・・・)とロバート・モンローさんの本(究極の旅)

ある発見をして、嬉しくなってしまいました。

ハロルド・シャープ著「ペットたちは死後も生きている」と、「ヘミシンク」を発明研究したロバート・モンローさんの著書「究極の旅」(共に日本教文社から出版)に、これは同じ「場所」のことを描写しているのではないか?と思われる箇所に出くわしたのです。

「場所」と言っても地上のではなく、人が死後にまず行く、緑が一杯の美しい公園です。そこで先にあちら側に行っていたなつかしい人々と会う人もいるそうです。

私が驚いたのは、その公園の描写でした。
「ペットたちは死後も生きている」を書いたハロルド・シャープさんが1世紀近くも前に、他の有名なミディアムたちと一緒に頻繁に「訪れていた」場所は、北国の樹木から熱帯の椰子の木に至るまで見たこともないような世界中の樹木が繁り、ありとあらゆる生き物が平和に存在している「公園」のような天界の入り口でした。

ロバート・モンローさんも、「公園」と呼ぶその場所にある世界中の珍しい樹木に驚いた様子を書いているのです。そこを訪れた時に、手に止まった鸚鵡(おうむ)がフンをしたので指が白く汚れてヌルヌルした、という箇所では笑ってしまいましたが。

可能だが難しい。難しいけど可能だ。

ちょうど帰国していた時、インド人4名のグループの通訳を頼まれたことがあります。インド北部のある町で「聖人」と呼ばれる男性と、彼を敬い、お世話する3名のお金持ちの人たちです。
「聖人」はかなりのお年のはずなのに、実際の年齢の半分ぐらいにしか見えませんでした。その方は慈悲にあふれた目で人々に接し、人生相談を受け(もちろん無料)、機知に富んだ答えで相談者を驚かせました。
食事はオレンジとミルクとインドから持参した薬草茶だけ。過去数十年、それだけで身体を維持しているのだそうです。実際、お付きの人が毎日、オレンジとミルクを買いに行って部屋に届けました。そして、私たちがインド料理のレストランでベジタリアンの食事をする間、その方は同席して瞑想していました。
この一行は九州のある市の郊外にヒンズー教のお寺を建てるというプロジェクトで日本を訪れたのです。市の職員の人たちとの歓迎会の席で、「聖人」は「私たちはみな愛でつながっている」という言葉で始まる挨拶をして、そういう言葉に慣れていない人たちは少し戸惑っていたように思います。しかし、数人の人が「感動した。すばらしかった」と後で私のところに言いに来ました。

みなが食べている間、インド人たちは外を散歩しました。私もそれに加わりました。彼はそこで初めて私に個人的なことを質問したのです。「あなたは食べなくてもいいのか?」と。「今日はなぜか食べなくてもいいような気がします」と答えると、「食べる量は三分の一にして、水を3倍飲めば健康が保たれる」というアドバイスをもらいました。
「何か希望があれば言ってみなさい」と言われ、私は「亡くなった犬に会いたい。一目でいいから、3秒でいいからこの目で見たい」と、つい言ってしまったのです。

「それは可能だけど、難しいよ。難しいけど、可能だ」。

私はあの言葉を忘れることができません。私がこの世にいる間に天国の犬を見る。難しいことだろうけど、いつか、きっと、それが実現すると、なぜか信じられるのです。

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