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毛皮着ないでくれてありがとう

「毛皮を着ないでくれてありがとう」という英語のシールはアメリカで買った物です。玄関の姿見の鏡に貼っています。車に貼るつもりでしたが、ドイツ人には意味がわからないだろうから玄関に。

先日の見本市では、「本物の毛皮を使った物、持ち込み禁止」というシールをもらいました。えり、帽子、ショールの毛皮の絵にダメ印が付いています。

ドイツの今年の冬は暖冬で、寒がりの私でさえ冬のどっしりしたウールのコートは一度も着ませんでした。麻(ただし、分厚い織り)の短いジャケットにマフラー、ベレー帽で充分。原始時代でもなく、北極でもない近代において、毛皮の役割って何なのでしょう?

市内の、昔からある毛皮店、早く消えてほしいです。ここまで来ても未だに毛皮コートを買う人がいるのかと不思議でならないのですが。

いまどきの若い人はまず着ない。着てる人と言うと、西ヨーロッパ以外の、お金をどう使っていいかわからない某国の成金さんたちか、おそらく50年前に(やっと)買って今も着ているというおばあさんたち、かな。毛皮はずっしり重いのにご苦労なことです。

ただ、ジャケットのフードの縁取りや、スカーフの先っちょや、帽子などに使われていることに無関心な人はドイツにも多いです。
アンゴラうさぎのセーターも、生きたまま毛を抜かれている光景など、想像しただけでウサギたちの叫び声が聞こえてくるようです。事実を知らないころは、アンゴラのセーターはフワフワでかわいいと思っていたのですが、今は、ウサギの苦しみなど着るわけにはいきません。

フードの縁取りの毛皮やアンゴラやダウンジャケットのダウン(水鳥の羽毛)がどのようにして「採取」されるのか、知れば買わなくなる人も多いのではないでしょうか。

買う人が減れば作る人も減ります。(ペットショップの犬猫も同じです。買う人がいるから店もあるのです。)

このようなことを、どうぞ、学校で、職場で、お友達と話題にしてくださいね。

動物実験を少なくする運動

何とタイムリー。今朝、新聞を開けたら、「動物実験はできるだけ少なく」という記事がありました。
私の住むヘッセン州でも、動物実験を少なくするための運動が活発になっています。よい結果を出した団体を表彰して、14000ユーロ(約200万円)の賞金を出すことになりました。

去年の8月には、ヘッセン州のフランクフルト市とギーセン市の大学に動物愛護(動物の福祉)の教授が就任しています。実験に使われる動物たちに苦痛を与えない方法、できれば動物を使わずにできる方法を見出す、そのようなことを大学で研究していこうというのです。実際、動物実験を廃止した大学もあります。

化粧品の会社も動物実験をしているところがあります。化粧品は動物実験をしていない会社の製品を買うようにしましょう!

毎週2日は犬もクラスメート

小型のむく犬、エミールは学級犬と呼ばれて、クラスのみんなから愛されています。
エミールは週に2日、「登校」して教室で放課後まで過ごすのです。クラスの子供たちはエミールを通じて犬との接し方を学んでいます。たとえば、かわいいからといっていきなり頭を撫でようとしてはダメ、そっと下から手を出すべき、ということや、大声を出したり子供たちがあばれたりすると犬はおびえるということなど。

授業の間、エミールは寝ています。エミールは朝食抜きでやってくるので、子供たちは用意された朝食代わりのドッグフードをエミールに与えることができます。はじめは犬を怖がっていた子も今はエミールが大好き。

エミールがいるところでは、子供たちが気を使って静かに話すようになり。それに騒がなくなったそうです。

子供たちは一匹の犬の存在を通して、教科書に書いていないことをたくさん学んでいるのです。

病気で高齢の犬が新しいファミリーを見つけた!

先週の「ファミリー探してます」コーナーに出ていた老犬のことが気になっていました。シェパードミックスの大型犬、12歳、重い腎臓病を患っている、というのです。
「残された日々を暖かなファミリーのもとで過ごさせてやりたいのです」という動物ホームからのメッセージがありました。

昨日の、インコの記事の冒頭に、「すばらしいファミリーが見つかりました!」と書いてあるのを読んで、「WOW!」と私たち夫婦は大喜び。誰も引き取り手がない、ということだったら、「何とかしないと」という思いが出て来ます。(私たちが再び犬を飼うとしたら、おそらく引き取り手がなさそうな大型の老犬でしょう。)

ここドイツでは、このように病気の犬、障害のある犬がちゃんとファミリーの新しい一員として引き取られて行きます。犬が重病を患い、回復の見込みはなく、苦痛を伴っているというときのみ、獣医師のもとでの安楽死が選択されますがそれはまれです。

犬猫に持病があっても、目が見えない、耳が聴こえないといった障害があっても、交通事故で足を切断しているとしても、「犬猫にも生きる権利がある」とこの国ではみなされています。

ドイツ版:本日の「新しいファミリー探しています」のコーナー

今日も小鳥の話題です。何とタイムリーなんでしょう。水曜日は動物ホーム(ドイツ語でティアハイムと呼ぶ)の「ファミリー探していますコーナー」が掲載される日ですが、今朝は、つがいのインコです。

「自由に飛び回るための部屋が用意できる人に限ります」という注意書き。大きな鳥カゴ、どころではありません。専用の部屋が必要なインコたちなのでした。

実はこの種のインコ、野外で異常繁殖してライン河畔に行くと実に数千羽が群れて飛び回っています。鮮やかな緑色に真紅の嘴の、アレクサンダーインコという種類らしいです。しかし、動物ホームにいるインコは始めからペットとして飼われていたので野外では生きられないのです。

先日書いた、映画「あん」の中のカナリアを思い出しました。結局、女の子からカナリアを預かったおばあさんが、「狭いカゴで飼われるのはかわいそうだから外に逃がした」と言うのですが、私は「自分で餌が見つけられなくてすぐ死んだだろうな」と思いました。まあ、映画のお話なんで、そうむきになることもないんでしょうけど。でも、「外に逃がすことが小鳥のためにいい」と勘違いする人が出てくるのは困りますね。

ふだんは大きめ鳥カゴ(とは言っても高さ2メートルは必要)に入れていて、一日の何時間か部屋を自由に飛び回らせる、という人もいます。はじめから一部屋、鳥に開放する人も。スイスに友人を訪ねたとき、アパートの3部屋あるうちの1部屋はインコの部屋でした。床は新聞紙で覆われてました。

鳥かごのカナリア

河瀨直美氏の映画「あん」を観ました。日本人も来てるかなと思ったけど日本人は私ひとり(だったと思います)。ちなみに市が経営するアールデコのステキなこの映画館、3回の上映のうち1回だけが日本語(ドイツ語の字幕)、2回がドイツ語吹き替えです。

感想はーーーーいい映画でした。

でもひとつ気になったことが。
「あ、これ、ドイツ人が文句言いそう!」というシーンがあったのでそれを今日は書いてみます。

ペットのカナリアを高校生の女の子が鳥かごに入れてマンションで飼っている、という設定ですけど、これってドイツ人にとっては動物虐待のひとつなんですよ。「え、どこが?」と思われるかもしれませんが、ドイツでは小鳥でもハムスターでも最低限のオリのサイズが決まっています。金魚も例外でなく、金魚売り場には「最低これこれのサイズの水槽が必要です」という大きな注意書きがあります。金魚鉢の金魚とかを動物愛護のドイツ人が見たらショックかも、です。

ここではカナリアが自由に飛び回れない鳥かごで飼うことはできません。カナリアのような小鳥だから小さいオリでいい、というわけではないのです。誰も見ていない? いやいや、カナリアの歌声が聞こえる家の中を、隣りのドイツ人はカーテンの縁からしっかり観察してますよ~

犬猫じゃあるまいし

是枝裕和監督の映画の大ファンです。彼の映画はここドイツでも上映され、ドイツ人も絶賛。
「そして父になる」という映画、ご覧になりましたか。私は二度観ました。日本語での上映の日と、ドイツ語での上映の日に。

赤ちゃんが病院で取り違えられて別の家族に渡り、子供が6歳になったときに発覚、病院側が双方の家族に子供の交換を持ちかけるシーンがあります。

父親である男性(リリー・フランキー)が「犬猫じゃあるまいし、子供をいまさら交換しろ、だなんて!」と大声を出すと、その妻が、「犬猫だって同じですよ!」と夫に怒ってたしなめる。

そのとき映画館の会場から拍手が起きました。痛快なシーンに私も思わず(心の中で)大拍手をしました。

ドイツの消防署は動物を救う

消防署の人たちは動物のためにも駆けつけてくれます。

先日の新聞には、家が全焼したが人間は全員早く逃れて無事だったことと、消防署の人たちが部屋に閉じ込められていた猫を無事救助したことが掲載されていました。

消防署には救助用の犬猫用のケージも用意されているそうです。

ある夜遅く近所を散歩していたら、24時間オープンの動物救急病院の前に消防車付属の大型輸送車が止まりました。
「むむ、なにごと?」と私たち夫婦も立ち止まって見ていたら、後方から降ろされたのは、でっかいケージに入れられた長毛猫! ケガしている迷子猫を見つけた人が消防署に連絡したのでした。

野犬の避妊手術を拒否?

大西洋の西アフリカ沖にあるカナリー諸島の島、ラ・パルマ島から戻ってきたところです。
そこは本土からは遠く離れていますがスペインです。常春で冬でも泳げる、お魚が美味しい、パエリアも美味しい、ハイキング中に山道で会う人たちは必ず、「オラー!」と挨拶して通りすぎて行きます。しかし、村から村へ歩くうちに私の心はだんだんと沈んでいきます。

庭のすみにつながれたままの犬たち。飲水もない。散歩にも連れて行ってもらってない。その証拠に、犬小屋の周囲はフンだらけです。

中型の細いグレイハウンドふうの犬が、狭い小屋に何頭も詰め込まれています。彼らはハンティングのときに使われる「道具」です。不要になれば山に捨てられる犬もいます。田舎でゴミをあさる犬は、多くが骨と皮だけにやせ細り、皮膚病にかかっている犬もいます。近寄ると逃げてしまいます。もう人間を信じることができなくなっているのでしょう。

動物愛護先進国であるドイツからボランティアの獣医さんたちが薬も器材もすべて持参して野犬になった犬たちの避妊手術をしようということになりました。

しかし、なんと地元の獣医たちが反対して、なかなか実行に移せないでいるそうです。プライドがじゃまする? 余計な御世話という気持ちがはたらく? 

もちろん、ラ・パルマ島の人たちの中にも犬を愛する人たちが大勢います。ドイツ人の活動家が野犬になった捨て犬を保護してドイツに連れていき、新しいファミリーを見つけるフィルムもテレビで見ました。そういう活動は地元のスペイン人と一緒に行います。

地元の人たちと共同事業でないと、一方的なボランティアは拒否されてしまうのかもしれません。

大目にみよう!というトレランス精神

曽野綾子さんの同じ本「人づきあい」の第31頁を引用させてください。(イースト・プレス社)

「すべての人がかならずしも常識的に生きなければならない、ということもない。人間の生き方の最低を示した法律を犯してさえいなければ、ますいいとしなければならない。こっそり犬猫を飼うぐらいのことは、別に法律違反だと言って騒ぎ立てるほどのことではない。その犬が通路にウンコを落としたり、臭かったり、鳴き声が煩わしかったりしたら注意すればいいが、とくに他人に迷惑を及ぼさない限りほっておくくらいのいい加減さが自分にない場合、むしろこちらの性格や生き方や健康に問題があると見たほうがいい、というのが、私の実感である」

トレランスの高い国ほど住みやすい、と私は思います。人間の生きる権利を犯すような重大な事情でなければ大目に見る、許容できる、というのがトレランス。それは国がお金持ちであるかどうか、先進国であるかどうかなどとは無関係であるような気がします。

ドイツなど、動物に関してはトレランス✕2ぐらいかもしれません。道にはフンが落ちている、今日もうちの玄関前にありました!しかも大型犬。責める相手は犬ではなく飼い主のほう。誰か分からないから私が掃除するしかないです。

こないだ頼まれて預かった犬は毛が臭くて臭くてやりきれなかった。飼い主に指摘したら逆ギレされた。その人は愛犬を野原で放して散歩させますが、そのときに、犬は野ネズミの死骸の上で転げまわっているはずです。まさしくその匂いなんです! 彼女の犬を預かってあげる人のトレランス度はかなり高いはずです。私はダメでしたが。

近所の大型インコの鳴き声、すごい。天気のいい日は窓を開けるからギャーッ、ギャーッって聞こえて来ます。「ここはアマゾンのジャングル?」と思えるような鳴き声です。階下のおじさんが時々窓から、「うるさああい」って怒鳴ります。私たち夫婦は、「あはは、怒ってるよ」と、いたって冷静。

トレランスについてはフランスもすごいです。ニースの町でスーパーマーケットのカートに堂々とワンコを乗せてお買い物するマダムを、ニースだけでなくフランスでは何回も見たことありますからね。いや、それを勧めているわけではないです。ただ、見て見ぬふりをする、大目に見るのがフランスだなあって心底思っただけです。私の場合、スーパーで買物するとき、犬は車の中です。暖かい日は窓を半開きにして。そうしないと窓を壊されます。犬を救うために他人が窓を壊してもOKな国、なんです、ドイツは。