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殺処分ゼロを目指すのではなく、殺処分を廃止する運動をしよう

はっきり申します。殺処分ゼロを目指したら、あと300年かかるかもしれません。ペットショップは相変わらず増え続けるのが目に見えています。ペットショップやインターネットで犬猫を買う人は減らないでしょう。簡単に買い、簡単に捨てる人はいつだってどこにだって、ここドイツにだっています。
「ドイツの殺処分ゼロ」は、「はじめ殺処分があったけど、人間の意識が少しずつ進化していってゼロになった」のではありません。
はじめから、殺処分はなかったのです。
管理センターや愛護センターの殺処分機械「ドリームボックス」を廃棄処分しないかぎり、つまり、殺処分そのものを廃止しないかぎり、苦しみながら死んでいかねばならない犬や猫がいるということです。
犬猫を苦しませながら死なせる、ということは先進国にふさわしくない行為なのです。
どうか、このことについてお友達や家族のかたに話してください。

私たち日本人の動物愛護意識はすでに、かなりいい線まで行っているはずです。つまり、捨てる人よりも救う人の数のほうが多くなっていると思います。ドイツですべての犬猫を生かすことができるのは、救う人の数が多いのと、もうひとつ。法律で、殺処分は禁止しているからです。

本物の動物愛護を実現させるには、ある日、一気にジャンプするしかない。動物愛護パラダイム、です。

政治家に訴えましょう。殺処分を禁止してください、と。

Zippeiくんたちの死:ドイツなら「動物虐待」として処罰の対象

このタレント兄弟犬と他の5頭の最期は、ご存知の通り、実に哀れなものでした。声帯まで切られていたそうで、最悪です。ドイツでは声帯を取り去るなど、もってのほか。

ところで、日本のテレビ局は今回の事件で何か学んでくれるのでしょうか。お金儲けのため、視聴者獲得のために、氷原を走るに適したような犬たちを真夏、車に閉じ込め、町から町へ移動して歩く。有名人を飼い主に見立て、「愛犬と共にふれあいの旅」という虚構の世界を作る。視聴者に、「なんてかわいい犬!」、「心がなごむ!」と言わせるために。

ドイツで車に犬を閉じ込めて出かけた結果、熱中症で犬が死んだら、飼い主は動物虐待として罰金を支払わなければなりません。幸い、犬が一命を取りとめたとしても、動物虐待で罰金です。日本のネットで検索したら、何人もの人たちがこう書いていました。「これは<立派な>動物虐待ではないのか?」。まさしくその通り。

しかし今回の事件を見てもおわかりのように、日本の法律では動物虐待になりません。ドイツではどこから見ても動物虐待として処罰されるというのに。

ドイツでは、暖かい日や暑い日に、たまたま車内に残されている犬を見つけたらまず飼い主を探しますが、飼い主がすぐに探し出せない場合は、迷わず警察に連絡。警察は窓ガラスを破って犬を救出します。中の犬がすでにぐったりしていて、警察を呼ぶ時間さえないと判断したら、窓ガラスを破っても罪になりません。ドイツの法律は犬の命と、犬を救う人を守るのです。

シャープさんの本(ペットたちは・・・)とロバート・モンローさんの本(究極の旅)

ある発見をして、嬉しくなってしまいました。

ハロルド・シャープ著「ペットたちは死後も生きている」と、「ヘミシンク」を発明研究したロバート・モンローさんの著書「究極の旅」(共に日本教文社から出版)に、これは同じ「場所」のことを描写しているのではないか?と思われる箇所に出くわしたのです。

「場所」と言っても地上のではなく、人が死後にまず行く、緑が一杯の美しい公園です。そこで先にあちら側に行っていたなつかしい人々と会う人もいるそうです。

私が驚いたのは、その公園の描写でした。
「ペットたちは死後も生きている」を書いたハロルド・シャープさんが1世紀近くも前に、他の有名なミディアムたちと一緒に頻繁に「訪れていた」場所は、北国の樹木から熱帯の椰子の木に至るまで見たこともないような世界中の樹木が繁り、ありとあらゆる生き物が平和に存在している「公園」のような天界の入り口でした。

ロバート・モンローさんも、「公園」と呼ぶその場所にある世界中の珍しい樹木に驚いた様子を書いているのです。そこを訪れた時に、手に止まった鸚鵡(おうむ)がフンをしたので指が白く汚れてヌルヌルした、という箇所では笑ってしまいましたが。

可能だが難しい。難しいけど可能だ。

ちょうど帰国していた時、インド人4名のグループの通訳を頼まれたことがあります。インド北部のある町で「聖人」と呼ばれる男性と、彼を敬い、お世話する3名のお金持ちの人たちです。
「聖人」はかなりのお年のはずなのに、実際の年齢の半分ぐらいにしか見えませんでした。その方は慈悲にあふれた目で人々に接し、人生相談を受け(もちろん無料)、機知に富んだ答えで相談者を驚かせました。
食事はオレンジとミルクとインドから持参した薬草茶だけ。過去数十年、それだけで身体を維持しているのだそうです。実際、お付きの人が毎日、オレンジとミルクを買いに行って部屋に届けました。そして、私たちがインド料理のレストランでベジタリアンの食事をする間、その方は同席して瞑想していました。
この一行は九州のある市の郊外にヒンズー教のお寺を建てるというプロジェクトで日本を訪れたのです。市の職員の人たちとの歓迎会の席で、「聖人」は「私たちはみな愛でつながっている」という言葉で始まる挨拶をして、そういう言葉に慣れていない人たちは少し戸惑っていたように思います。しかし、数人の人が「感動した。すばらしかった」と後で私のところに言いに来ました。

みなが食べている間、インド人たちは外を散歩しました。私もそれに加わりました。彼はそこで初めて私に個人的なことを質問したのです。「あなたは食べなくてもいいのか?」と。「今日はなぜか食べなくてもいいような気がします」と答えると、「食べる量は三分の一にして、水を3倍飲めば健康が保たれる」というアドバイスをもらいました。
「何か希望があれば言ってみなさい」と言われ、私は「亡くなった犬に会いたい。一目でいいから、3秒でいいからこの目で見たい」と、つい言ってしまったのです。

「それは可能だけど、難しいよ。難しいけど、可能だ」。

私はあの言葉を忘れることができません。私がこの世にいる間に天国の犬を見る。難しいことだろうけど、いつか、きっと、それが実現すると、なぜか信じられるのです。

ペットたちは死後も生きている

ドイツは秋がもうすぐそこです。木立を通過してくる風に枯草や野草の匂いが混じっています。日差しが日増しに弱くなり、夜の10時に見ていた夕焼けも今では夜の8時です。

秋は愛犬コロが天国に旅立った季節であり、毎年今頃になると、その時の思いが蘇ります。

秋の風の中にコロがいる……。目を閉じて、コロの柔らかくて暖かい身体を(あちらの世界で)抱きしめます。

日本教文社から出版された「ペットたちは死後も生きている」は20刷を超えました。当時、編集部の何人かのかたが、何が何でもこの本を世に出したいと押してくださったおかげで、会議を何度も突破することができ、ついに出版されたのです。「次の会議ではもしかしたらパスしないかもしれない」と毎回ドキドキして知らせを待っていました。

編集者の方を始め、この本を通じていろいろな方と知り合いになりました。「こんな本を読んだ」とその本のことを話された方に、「実は翻訳をしたのは私です」と告白して、その偶然の出会いに驚いたことも一度や二度ではありません。その方々とは今でも親交が続いています。愛犬コロが連れてきてくれた一生の友人たちです。

出版社の編集部でお世話になったT氏は、「この本の翻訳は喜び以外のなにものでもなかったから売れるのです」とおっしゃいます。私もそう思っています。私が初めてこの本を読んだ時、悲しみの涙が喜びの涙に変わったのです。次の文章にはどんなことが書いてある?と、もどかしく頁をめくりました。ロンドンからフランクフルトへ向かう飛行機の中でした。大げさではなく、私は救われたのです。この世に偶然などないのだ、と強く思いました。

動物の権利って何のこと?

英語だとANIMAL RIGHTというわけで、日本語では「動物の権利」って呼ばれるのですが、どうもスッキリしない、馴染み薄い言葉ですよね? え?動物にも権利があるの? 選挙権? 言論の自由の権利?みたいな。(笑)――まあ、動物にも選挙権があったら、わが国の政治家たちも動物愛護にもっと真剣になってくれたでしょうけど。

動物の権利とは、「動物たちが、その種らしく、苦痛を味わうことなく生きる権利」という意味です。

鶏の例を挙げてみましょう。ぎゅうぎゅうに詰め込まれた檻の中で、一生太陽の下に出ることもなく、日夜時間を問わず餌を与えられ、肥えさせられ、玉子を産ませられ、オートメーション化された加工工場に送られます。

豚は? 鶏と同じく、身動きもできない檻で飼われ、走り回ることなど夢のまた夢、草地も土の匂いも知らず、屠殺場で恐怖に慄きながら短い一生を終えます。

「動物の権利」をこの哀れな動物たちに活かすとしたら、一例として、鶏は日中、屋外で放し飼い。豚も屋内と屋外で運動できる環境で養う、ということになります。一羽、一頭が動き回るのに必要な空間が法律で保障され、鶏も豚も生きている間、苦痛なく生きることができ、屠殺も苦痛と恐怖を与えない方法にする。人間が動物の代弁者になって、動物の「苦痛なく生きる」権利を守ってやるのです。

動物が「苦痛なく生きる」権利を持っている国の代表としてスイスが挙げられます。次が、ドイツ、オーストリア、オランダといったゲルマン系の国々です。スイスは一番厳しくて、ドイツはスイスを見習おうとしていますが、スイスの水準があまりにも高くて……と動物愛護の活動家はこぼしています。

「その種らしく」というのは、たとえば、馬も牛も仲間がいる環境で飼い、孤立させない。ペットも同じ。モルモットもウサギも1匹だけで飼ってはならない、ということです。スイスの酪農家は細々とした厳しい規則に始めは文句を言うそうですが、文句を言いながらもみんなが守り、次第に当然となってしまうのだそうです。

犬に関して言えば、動物たちが、「その種らしく」そして「苦痛なく生きる」権利を人間が認めるEU諸国では、JIPPEIくんたちのように声帯の除去など考えられないし、断耳も、断尾も禁じられています。もちろん、要らなくなった犬や猫を殺処分するなど考えられないことです。

Zippeiくんたちの死は私たちに何を教えてくれるか

100度近いサウナに入っている時にドアが開かなくなり、助けを呼ぶにも声が出ない。そのような状態で彼らは死んでいったのですね。Zippeiくんたちが死に到るまで高熱地獄でどれほど苦しまなければならなかったか想像しただけで恐ろしくなります。

以前、日本のテレビのタレント犬が「使用後」は保健所行きというケースがあったそうです。又、友人の娘さんは雑誌のモデルで有名だったのですが、「撮影に使った動物を捨てるような世界はもういや」と言ってモデル業を辞めました。(彼女、撮影後に<廃棄>された猫を飼っています。)

飼い主でもない人間が飼い主であるような錯覚を視聴者に与え、犬連れで各地を訪問する。犬はこの場合、単に視聴者獲得の道具でしかありません。ドイツ人たちにこの番組のことを話すと、「それって犬にはすごいストレスでしょう? 動物虐待よ」と言います。一般の人の反応がこうなのです。


Zippeiくんたちの死を無駄にしないためには私たちがこのような番組にNOという態度を取るしかないのです。そのようなかたちで、私たちは哀れな一生を過ごすことを強いられる犬たちをなくすことができます。

犬を愛する人間は犬を金儲けの道具には使わないでしょう。ましてや手術で声帯を取ったりするでしょうか? (声帯を取ることなどEUでは禁止されています。)

もうあのような番組はボイコットしようではありませんか。
番組制作者にメールを出し、手紙を書く、電話をする。心の中で思うだけでは伝わりません。「タレント犬はもう要らない」という声を行動で伝えましょうよ。これが私たちに今、できることです。これがZIPPEIくんたちの死が私たちに残したメッセージだと私は思います。

カール・セーガン原作の映画「コンタクト」

ヘミシンクや、ミディアムシップなどに興味を持たれた方でまだ「コンタクト」という映画をご覧になってなかったら、是非。

原作はカール・セーガン(1996年没)という、惑星や生命起源の研究で有名な天文学者です。その小説が発表されると、「セーガンは天文学者として有能であるばかりでなく小説家としても天才である」と絶賛され、まもなく映画化されました。主演はジョディ・フォスターです。

小説を読んでから映画を観るとがっかりすることが多いのですが、この映画は小説のテーマにかなり忠実だと思いました。主人公役にはジョディ・フォスター以外考えられないほどぴったりです。

もちろん映画のほう、原作と比べれば、かなり簡略化された部分があるし、日本(北海道近海)が突然現れる部分に度肝を抜かれ、「そういう時に自衛隊員がお辞儀するだろうか(笑)」的疑問も生じましたが、それでも見応え十分です。私なんか何度観たことか……。本のほう、何度読んだことか……。この物語には宇宙と宇宙人とアドベンチャーとスピリチュアリズムが散りばめられています。

また、小説のほうでは「円周率 おなじみのπ、3.14159......」が、おもしろい展開をしますよ。(あ、これ以上は書かないことにしますね!)

SETI(Search for Extraterrestrial Intelligence)
地球外文明探索計画の、本物の広大な基地と設備も画面で楽しむことができます。

今年からファーを買わないで

熱波のせいで西ヨーロッパは明日から数日間35度以上になるそうですが、街では夏のバーゲンも下火になって、からし色や茶色やグレイの服がショーウインドウに並んでいます。

冬のお洋服を一足先に買おうと思っていらっしゃるとしたら、お願いです、今年から、ファーの付いたものはどうか避けてください。

ジャケットのえり、フードのふち、ショールのふち、ブーツの足首部分、帽子の飾り、ブローチ、キーホルダー、動物のかたちの小物など、毛皮コートだけではなく、いろいろな部分に使われています。気づかずに買う場合もあるでしょう。

ファーには2種類あります。
動物の毛皮(リアル・ファー)と人工毛皮(フェイク・ファー)。

ここで述べる動物の毛皮とは、ミンク、チンチラ、犬猫など、毛皮をとる目的として繁殖された動物の毛皮のこと。犬も?と不思議に思われるかもしれませんが、犬を毛皮目的で繁殖する国が存在します。そのような動物たちは小さな檻に一生閉じ込められ、殺される時は、むろん麻酔もなく、大きな苦痛を伴う残酷な方法で皮を剥がれます。生きたまま剥ぐこともあります。(そのような現場の写真を発表しているブログやホームページやYOUTUBEがありますので、ご自分の目で確かめたい方は調べてみてください。)

それではフェイク・ファーにする?
ちょっと待ってください。実は、フェイク・ファーと表示してあっても本物の毛皮である可能性があるのです。なぜなら、フェイク・ファーよりも本物の毛皮のほうが安く生産される国があるからです。そして皮肉なことに、フェイク・ファーの出現によってリアル・ファーが強調され、「これはフェイクじゃない、本物!」を謳った商品も現れたのです。

すべては消費者の私たちにかかっています。
ファーを買わない。リアル・ファーもフェイク・ファーも。

消費者が求めなければ、ファッション業界もファーを生産する理由がなくなるのです。

動物実験をしていない化粧品を選ぼう

日本の動物たちを少しでも幸せにするために、私たち一人ひとりにできる、小さなことから始めませんか。

そのひとつに、動物実験をしていない化粧品を選ぶ、というすばらしい選択があります。「私たちの会社は動物実験をしていません」と宣言している化粧品を使いましょう。

EU諸国では化粧品の動物実験がほとんど禁止されています。残る最後の3つの動物実験も2013年の3月には禁止されることが決まっているそうです。EU諸国は動物実験をした化粧品を輸入することもできません。なぜ禁止になったのでしょう? それは別の方法が開発されて、動物実験の必要がなくなったからです。

しかし日本の多くの有名化粧品会社が残酷な動物実験を続けています。実験に使われるビーグル犬やウサギは、太陽の下で遊ぶことも、草原や土の匂いも知らず、そして愛も知らないまま、化粧品会社の付属研究所で苦痛を伴う皮膚実験をされ、みじめなだけの短い一生を終えているのです。

次に化粧品を買い換えるときは、このあわれなビーグル犬やウサギのことを想ってください。消費者が変われば、大企業も考えを変えるほかなくなるのです。

日本も化粧品の動物実験をしない国になってほしいと願います。