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この苦しみを乗り越えるには?

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<ペットロスから始まった私の長い旅> その2 

今ならすぐにインターネットでペットロス関係の本を注文するところですが、当時は、本をネットで注文というシステムが始まったばかりで、本は書店に行って探すものでした。

「本が読みたい。それも読んで納得いく本が」
「死について知りたい。死後、動物の魂はどうなるの?」

私は街の書店に走りました。ここはドイツですから、書店の本も当然すべてドイツ語です。文法や知らない単語に気をとられすぎてドイツ語で読書を楽しむというところまで至っていない私は、新聞と料理のレシピ以外、ドイツ語を進んで読むことはあまりなかったのですが、死について知りたい願望が、言語の難解さに勝ったのでした。

心理学、宗教、エソテリック、スピリチュアリズム関係の書物を前に私は長い時間すごしました。この数百冊の中から一冊ぐらいは私の心を少し楽にしてくれる本があるに違いないと思えました。

買い求めた本の中に、オーストラリアの大学で社会学を教えるシェリー・サザランドという教授が書いた翻訳書がありました。タイトルのドイツ語は、「亡き子と癒しの再会」とでも訳すればいいのでしょうか。亡くなった子が親のもとに姿を現す、そして親は大きな慰みを得る、という意味です。著者は霊的な体験をした親たちにインタビューして、本にまとめたのです。
原題は《Beloved Visitors》(最愛の訪問者)とありました。

次から次に起きる不思議なできごと、つまり、親は子の姿(霊)を見たり感じたりするのですが、気味が悪いなどとは全く思えませんでした。それどころか、終始、「よかったね、会いに来てくれたんだね」と、涙を拭き拭き読みました。辞書を片手に、ですが。(すみずみまで丁寧に読んだ初めてのドイツ語の本になりました。)

その中に、交通事故で息子を亡くしたマギーという女性の話がありました。この人は霊感が特に強い体質のようで、息子の死の瞬間に、違う場所にいて息子が亡くなったことを知る由もないのに突然気分が悪くなって立っていられなくなる、という体験をしています。

息子の死後も、心の目で息子を「見る」ことのできるマギーは癒されていくのですが、今度は息子の愛犬だったファングが亡くなると、深い喪失感と不眠に苦しむようになり、なかなか立ち上がることができなくなってしまいます。そして、ファングにもう一度会えたら、と願っていると……。

ファングがマギーのベッドに「現れた」のでした。

愛犬の死を受け止めることができない

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<ペットロスから始まった私の長い旅> その1    

森の中で目を閉じて、秋の冷たい空気を胸一杯に吸い込むと、枯葉の匂いの中に私が愛した1頭の犬の存在を感じます。
マルチーズのコロが亡くなったのは、11年前の、よく晴れた秋の朝でした。

腎臓が9割以上機能していないことがわかってからは、明日はないかもしれないという恐れがいつも心の中にありました。だから、食餌療法、点滴、度重なる血液検査をしながら、残された時間を大切にしよう、毎日の一瞬一瞬をだいじに生きなければと無我夢中でした。後に「できるだけのことはした」と思えるようであれば、悲しみがいくらかは和らぐことができるだろう、寂しさや苦しみから少しは早く立ち直れるだろうと思ったのです。

コロはそれから1年半生きました。

しかし、コロの死後、どんな慰めも役に立ちませんでした。悲しみが私を押し潰してしまいそうだったのです。なぜもっと早く安楽死を選択しなかったのか?という後悔に苦しみました。コロの腎臓も肺も心臓も、もう限界に来ているのがわかっていたのに、私は奇跡を待っていたのでしょうか? 

夜寝るとき、このまま目が覚めないほうが楽だろうに、とさえ思いました。毎朝、目が覚めた瞬間に、コロの死が夢の中のできごとではなく、紛れもない現実であることを受け止めなければなりませんでした。

大声で名前を呼んでみたこともあります。
でも家の中は静まりかえったままでした。

アンの一家が感じた愛犬の存在

私は昔、サウジアラビアのジェッダという町に、5年住んでいました。10人集まれば10の国籍がそろうインターナショナルな都会でした。まあ、都会とはいっても当時(30年前)はロバや山羊やラクダが町の光景の一部、というノンビリした半分田舎だったのですが、今はもうそんな面影もないでしょう。

夜、砂漠に行くと、まさしく「満天の星」です。無数のダイヤモンドを空いっぱいに散りばめたようでした。それだけは永遠に同じでしょうけれど。
 
家からはコバルトブルーの海が見えました。
そして、その家の屋上で台湾人のアンが話してくれたことを私はよく思い出すのです。アンは食事の前に短い祈りの言葉を捧げるのを習慣とするキリスト教徒で、台湾では日曜日に家族で教会に通っていたそうです。聡明で物静かなアンは、良家のお嬢様という雰囲気を漂わせていました。

アンはちょうどそのとき、誰かの小型犬を預かっていました。話題は自然に犬のことに向かい、彼女がこう言ったのです。

「愛犬のラッキーが死んだとき、私たち一家は不思議体験をしたのよ」。

私はそのころ、「死んだらどうなるのか」ということを深く考えたこともなかったので、不思議な体験と聞いたとき、聞きたいような聞きたくないような、ちょっと恐い気持ちになりました。

「ラッキーは老衰で死んだ後も1週間我が家にいたの」。
え? どういうこと? 背中がゾクッしました。(現在の私ならそういう話を聞いても気味悪いとか不思議だとはこれっぽちも思わないのですが。)

「家族みんなが毎日、パタパタ音をはっきり聞いたわ。寝て尻尾をパタパタと床にたたきつけるのはラッキーの癖だったのだけど、死後も私たちに自分の存在を示したかったのかしらね。私たちは、そのつどラッキーの魂に話しかけたわ。ラッキーちゃん、わかった、わかった、ここにいるのね。もう安心して天国に行っていいわよって」。

パタパタ音は、ラッキーが好んで寝ていた食卓の下や、家のいろいろな場所から聞こえてきて、1週間後に突然聞こえなくなったそうです。

アンの一家に愛されて天国に行ったラッキーは、要らなくなった抜け殻を捨て、姿が見えなくなっただけなのだ、ということを家族に知らせたかったのではないでしょうか。

母は誕生日に愛猫を受け取った

      母は誕生日に愛猫を受け取った
          

         野良猫パンダ

 母の住む家に白黒の野良猫が現れるようになったのは十何年も前のことです。猫は毎日来ては、家の中を一通り歩き回った後、母がサンルームに置いた餌を食べ、また外へ出て行くのです。それでサンルームのガラス戸は真冬でも猫一匹分開けてありました。「パンダ」という名前は母がつけたのです。

 あるときからパンダは毛が抜け始め、ボス猫の風格はどこへやらの見る影もない状態になりました。毎日母のために来てもらっていたお手伝いさんに、動物病院から取り寄せた薬を塗ってもらうと、半年ぐらいでようやく元通りになりました。

 皮膚病が治ったかと思うと次は大ケガです。数日ぶりに姿を現したパンダは、オス猫同士の争いに負けたらしく、首もとにパックリ開いた傷があり、ガリガリにやせていました。ずっと犬党だった私は猫についての知識がほとんどなく、メスの発情期が来るとオス猫同士がそうやって争うという厳しい猫社会のことを初めて知りました。

 このままではきっと近いうちに喧嘩に負ける日が来る……。母も同じ思いだったたらしく、パンダを去勢して家の中だけで飼うことに決めたのです。それに、パンダが家に来始めてからの母の生活はパンダ中心になっていました。パンダが2日姿を現さないと母は心配のあまり食欲さえ失くしてしまうのです。パンダを家で飼うことは母のためにも猫のためにもいいのではないかと思えました。


       たちまちセレブ猫に

 パンダが家の猫になると、ドイツからの毎朝の電話は、
私「もしもし、ネズミに引かれていないでしょうね?」
母「パンダがいるからだいじょうぶ!」で始まるようになりました。
 母の介護のヘルパーさんたちも「パンダちゃん」、「パンちゃん」と呼びかけ、抱きしめ、撫で回し、ほおずりをするものだから、毛はピカピカに光り、美猫になって、みんなのアイドル猫です。
 
 居間には、母がマーカーで「パンダのおもちゃ箱」と書いた段ボール箱があって、来客はその中から好みの猫じゃらしを選んで、しばらく猫と遊びます。本物のパンダにそっくりのかわいい猫がいる、という噂を聞いて、遠くからわざわざパンダを見に来る人もいました。

 一番の驚きは、パンダが気配りをするということでした。ソファで長くなっていたパンダが突然、何かを思い立ったように起き上がり、母の膝に飛び上がるのです。そして、母の細い両膝からずり落ちそうになりながらも、ズボンにしがみついて母に自分を長い時間、撫でさせるのです。骨折で入院治療したせいで筋肉が落ちてしまい、竹のように細くなっていた膝は、パンダにとって決して座り心地はよくなかったはずですが、母が自分を撫でたがっているのがわかったのでしょう。


           母、天国へ逝く

 パンダにはどんなことがあっても、母よりも長生きしてもらわなければならない。ヘルパーさんも私もそう願っていました。

 そして、パンダは最後まで母を見守っていてくれました。母は95歳まであと2ヶ月という冬の朝、天国に逝きました。

 猫を13匹飼っている友人がパンダを引き取ると申し出てくれたのですが、血液検査の結果、パンダは猫エイズのウィルス・キャリアだとわかったので、諦めざるを得ませんでした。友人は悔しがって泣きましたが、私はこれも「猫神さま」のお考えなのでは?という気がして、友人を慰めました。パンダだって母に負けないほどの高齢のはずなのです。人間も猫もできれば住み慣れた家で暮らすのが一番なのではないか、と。

 それからは、その友人を始め、猫好きの従姉、母の介護に来てくれていたヘルパーさんが定期的にパンダに会いに行ってくれるようになりました。


           奇跡の49日

 母が亡くなってちょうど49日目に、「パンダが餌を食べなくな
った」とドイツの私に連絡がありました。そのときが来た、と思いました。
 49日目からきっかり1週間後が母の誕生日だったのです。だから私はパンダの世話をしてくれていた人たちに、「母は自分の誕生日にパンダを連れに来るつもりだと思う」と伝えました。なぜか、その言葉が自然に口から出たのです。しかも、みんなすぐにそのことを理解して、「パンダは母の誕生日に逝く」という確信を持ったようです。

 餌を食べなくなったパンダのために友人とヘルパーさんたちは前よりいっそう頻繁に訪れてくれました。パンダは4、5日たつと寝床から起き上がれなくなっていました。それでも、「パンダ!」と呼びかけると、「ニャア」と返事をしていました。パンダはいつもそうやって返事をしてくれるのです。

 母の誕生日の日付に変わるまであと数時間という晩が来ました。友人は遅くまでパンダに付き添ってくれていましたが、零時が過ぎ、ついに母の誕生日の当日になったとき、友人は自宅に帰ることにしました。「私がいるとお母さまがパンダを受け取りに来にくくなるような気がします。家に帰ります」という携帯電話からのメールが来ました。

 朝一番に友人が家に行くと、パンダは冷たくなっていました。
 パンダは母のお骨を家で49日間守り続けるという、この世での最後の役割を終えて、大好きな母のもとに行ったのです。

 パンダがお母さまのもとに逝きました、というメールを読んだ瞬間に心の奥から湧き出てきた感動を私は一生忘れないでしょう。「パンダは偉い。すごい猫だ」と、私は泣きながらメールに感謝の返事を書きました。

 今、天国でパンダはいつでも好きなときに母の膝の上でうたた寝をすることができます。若返った母の膝の上は絹の布団のように柔らかで寝心地は満点。母の着物は大好きだったラベンダー色でしょうか。母の手がパンダをいつまでもやさしく撫で続けていることでしょう。

 母は自分の誕生日に、何よりもすばらしい贈り物を受け取ったのです。

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